電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

新劇の巨人

とタイトルを書いてみて、そういや「新劇」という言葉は今や死語になりつつあるなあと考える。元々30年近く前、自分が舞台芝居に関わり始めた頃は、いわゆる小劇場ブームであり、既に新劇というのはその文字面とは異なり、古い芝居を指し示す言葉だった。とまで書くと、やや大袈裟なんだが、少なくとも、そこから新しい芝居は生れないという場所であった。

舞台芝居、いや演劇史をキチンと勉強してみて、勿論、新劇というものが日本の舞台芝居において如何に大きな意味を持っていたかというのを理解するに至るんだが、その辺りの詳細はいつか書くとして(というのはもう永遠に書かないと言ってるようなもんだが)、ここでは別の側面から少しだけ語るとするならば、新劇とは、要は、おれたちゃ金儲けやってんじゃねえんだゲージュツやってんだというものであって、かと言って霞を食っては生きていけないわけで、どうしたかというと、つまり研究生などを取って、「やる側」からカネを取るという構造を作ってきたのが新劇なわけだな(格闘技を始めとして、多くの世界がこうなるというのは言わずもがな)。

今ではいわゆるアングラ・小劇場な人達も、より経費節減で確実な方法として「ワークショップ」という名前で、公演の赤字を補填するなり、公演の予算を作るなりするのは当たり前だが(という見方は決して穿ち過ぎではない)、自分なぞは当時、アングラ系の小劇団が研究生制度なんか始めると、けっあそこも出来上がっちまったな等と罵倒していたものであって、今から考えるとその罵倒の仕方はやはり間違っている。

いやいや、そんなことを書きたかったのではないのだ。タイトルを考えていて、これが浮かんでしまったから、こういう話を枕にするかと書き始めただけであって、勿論、書きたいのは諫山創の「進撃の巨人」(講談社)の話だ。

今年の「このマンガがすごい! 2011」(宝島社)でびっくりの1位。いや、わずか三巻(が発売されたばかり)でこれって凄いと思うものの、このマンガはとにかく初見のインパクトが凄いマンガであって、これからが厳しいとも思う。この不気味な世界観をどこまで精緻に描きこんでいけるか、いや世界観など破綻しまくりでもいい、このテンションをどこまで維持できるか(とはいえ、世界観を精緻に描きこむ方向に進んでいるようで、そこは個人的にかなり好み)、一巻の最後で主人公と思しき彼がアレしてしまい、二巻の終わりではさらにアレでアレしてしまい、ええーっそうなるの! という展開のぶっ飛び方で先への不安も感じさせるものの、不安の3倍くらい楽しみでもあり、三巻現在では、盛り上がりはこれからだ的に育っていてやたら面白い。週刊少年マガジンの方でスピンオフ的なストーリーをたまにやるのもいい感じ(自分は三巻の冒頭に収録されているスピンオフを週マガで読んだのが最初)。

作者の諫山創総合格闘技のコアなファンであるのも頼もしく、今に15メートル級巨人が、ハーフからもぐってスイープしたり、アームドラッグからバックに回ったりする可能性もあり(ないない)、とにかく総合格闘技ファンなら刮目すべきであるといえよう。

ちなみに「このマンガがすごい! 2011」、自分の好きなマンガでいくと「ワンピース」は4位(対象が単行本なんだから今年は1位にならなきゃおかしいとは思うが、まあマニアを自称する人間ほど褒めたがらないのはしょうがない)、女子総合が舞台の「鉄風」は何と13位(これはうれしい!)、「キングダム」は15位(これはもっと上位でいいと思うな)、「ヴィンランド・サガ」は50位(これは停滞期? に入っているのでしょうがないか)というあたり。勿論、なんでアレが入ってないのと思う作品も多いので、微妙といえば微妙なランキングだとは思うが、自分もあまり数を読んでないので、強いことは書けない。

さて「新劇の巨人」って誰かなと考えてみれば、故人まで含めれば、杉村春子宇野重吉ということになるんだろうが、この辺りはいわゆるインテリ筋の評価の高い人であって、一般的な常識としては、未だ現役バリバリの平幹二郎ということになる筈……と書いてみて、いや新劇なんて誰も知らないんだ死語なんだ、だから一般的も常識もあったもんじゃないと冒頭に戻ってしまいましたとさ。