電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

読まれていると思い込む病

昔からというか、ネットがある程度当たり前になって、そういう傾向はとっくにあったわけだが、やはり、ツイッターが拍車をかけたのか、自分の呟きを、誰もが読んでいると思い込んで、次第に病んでいく人達が多くて、痛ましく感じる。

一般人の文章なんて、誰もそんなに本気で読みはしない。自分はむしろ、もっとちゃんと読まれたい、読んで欲しいと思う傾向が強い為、この病からは無縁で、いや逆に、このブログなりツイッターなりの読まれ方を過小評価する傾向にあって、読まれていないと思い込む病かもしれないんだが、例えばアクセス解析からわかる滞留時間の少なさから、この人このエントリーに15秒しかいないなんて、眺めたという程度だよなとか、いつもそんなことを思っては溜息をつく。

読まれていると思い込む病の人達が痛ましいのは、その読まれていると思い込んでいる自我が肥大していき、あたかも、書き手と幻想の読者の関係性を構築してしまい、結果、何やら気分は大先生になってしまって、それが書く事のモチベーションになったりするからだ。

これは、その辺のタレント風情やインチキマスコミが、ブログやらツイッターを始めて、ちょっと強いことを書いたら、びっくりするほどの反発を買って、アンチという名前の仮想敵を想定して、それを有名税と思いたがる傾向と裏腹というか、対になっていて、つまり、読まれていると思い込む病は、次にはアンチの存在を想定し、さらに自分の格を幻想の中で上げていく。その辺のタレント風情や、ましてや一般人などに、アンチなど存在しないし、そのアンチとやらは、たまたま相手を叩いて遊んでいるだけの、ただの叩きたがりにも関わらず、アンチの存在を想定することが、むしろ慰めの方向に作用しているわけだ。

こういう病的な方向性とはまったく無縁な一般人からすると、その病み方すら意識に入らないものだ。自分が気になるのは、自分にもその素質があるからに外ならず、かと言って痛ましく見えるそういう人々と同類でありたくないという自意識が、読まれていないと思い込む病に繋がっていると自己分析。

大丈夫、貴方の文章なんて誰も読んでない。だから、アンチもいません。