電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

疑わない事の強さ

ビンラディンの殺害で、USAコールをあげているヤンキーを見て、疑問に感じる人は多いようで、日本的感性というか、それが当たり前だと思うものの、だから日本は弱いんだよなとも思う。

明治維新の富国強兵とか、太平洋戦争後の復興とか、疑わないで済むお題目があった方が国は強くなれる。

日本は経済は一流、政治は三流なんて言われた時代も、とうに過ぎて、国民全体が三流である事はもうはっきりしてしまったわけだけど、この未曾有の震災を経験しても、ちっともお題目が成立しない事がすべてであって、そもそも、政治の弱さなんていうのも、官僚を怒鳴りつけてでも言う事をきかせる力というのは、ある種の信念の強さと、そこから生み出される人格的な迫力で、つまり狂信性が必要で、だから日本の政治ベタというは、信念の弱さというか、絶対的な正義の無さという事と繋がっているんじゃないかと考えてしまうわけだ。

ビンラディンが死んでUSAコールやってる奴らを見て、ああなりたいかと言えば、自分はまったくそうは思わないが、これは天邪鬼な自分だけではなく、平均値としてそうである筈で、それこそが知性的・理性的な態度であるのは間違いなく、それって素晴らしい事であって、それは政治的な弱さを引き受ける事によってしか生れないんじゃないかとも思うんだ。

最近、自分は自分の人生において、初めて保守思想というモノを真剣に考えるようになった。勿論、それはナショナリズムとは結びつくような方向のモノではないし、真剣に考えたとしても、結局、つまんねえなあ保守はの一言で終わってしまいそうな予感が大きいのだけれど。