電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

波打ち際の足許

メディアへのリテラシーは確かに必要だと思うものの、一体何が正しくて何が間違っているのか、益々わからない世界になって、例えば、小説でも映画でもマンガでもいい、20世紀の末までは、あれは傑作だこれは駄作だと一定の価値観が絶対的に存在していて、つまり、分かり易い基準がまだ存在していたのに、その絶対的であった価値観を共有する人間が、共有しない人間より、圧倒的に少数派である事がわかってしまうと、それはちっとも絶対的ではないのではないかという不安感の方が増していって、では一体リテラシーとは何なのだ、特に人文分野では、もう何が絶対的な価値観などは既に喪失してしまい、勿論、理系分野では、絶対的な真実というのは確実に存在する筈なのだが、それすら波打ち際の足許のように、P・K・ディックの小説にように、グラグラと不安感は増し、確かな事など何もないというのが、唯一残された真実という事になってしまえば、メディア・リテラシーなど永遠に確定しない。