電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ヒーローがウンコする映画

何かを上げる為に何かを落とすというのは、あるレベルの言論活動においてはルール違反なわけだが、そんな事を言ったら何も言えないよなという感じもなくもない。例えば、この「落ち目になった時こそ底力が問われる」で自分は「レスラー」を落として「その男バンダム」を上げているわけで、これがルール違反だったら、もう自分などルール違反だらけだ。で、今回もこれと同じ構造。「ダークナイト」を下げて「ウォッチメン」を上げる。共にアメコミ原作のヒーローモノ、「ダークナイト」より「ウォッチメン」の方が全然面白くない? と。

ダークナイト」は圧倒的な評判の割にはピンと来なかった。勿論よく出来た映画である事は認める。よく見かけた褒め方としては、正義の行使に悩むなんてヒーローモノの主人公なんていない、だから斬新だという奴であって、いやそれ手塚作品の昔からいくらでもあるだろくらいのモノであって、そういう凡庸な褒め方される事自体が、「ダークナイト」自体への冒涜なんじゃないかと思うんだが、例えば、あれほど暗い色調ではなく、正反対の色調ではあるものの「スパイダーマン」でも、力を得てヒーローとなってしまった若者の暴走とか苦悩とか行き過ぎた正義の行使というテーマは出てきているわけだ(2作目までは好き)。

正義の行使にも色々なパターンがあって、それを戦隊モノ風にヒーローを複数登場させて近代史に大胆に絡めたのが、この「ウォッチメン」。近代史、特にアメリカの多くの政治的事件に、ヒーロー達が介在していたという設定は、フィクションとしてはありがちな設定なのかもしれないが、それを序盤に大胆に説明していき(この辺り、音楽がやり過ぎ感があるほど、パロディッシュに過去の名曲を使うのが好みが分かれるかも。自分は面白かった)、当たり前の近代史をわかっていないと理解できないので(とは言ってもベトナム戦争とかケネディ暗殺とかその程度だけど、分からないというガキの感想を随分見かけた)、どうしても「ダークナイト」と比較して分かり難いとみなされてしまうのかもしれない。その意味では明らかに大人向けのヒーローモノといえる。

ザック・スナイダーは「300<スリーハンドレッド>」の監督であり、自分はあのそこそこの話題作はまるでピンと来なかった。大してない内容を延々スローモーションで見せてるだけという感じで。「ウォッチメン」でも延々スローモーションが出てくる。もう少しさっぱりさせて2時間ちょっとにマトメたらもっと傑作になったような気がするほど長くなってしまったこの映画(2時間40分を超えてる)、けれど少なくとも「300」程度にはスローモーションも効果を上げているし、その長さが大作感をもたらしている。原作を読んでないので、判断できないところではあるんだが、ウィキペディアによれば、原作自体が大作であり、当初は自分が好きなテリー・ギリアム監督で計画され、2時間半じゃ無理と投げたという話もあるくらいだから、3時間以内なら、よくまとまっている方なのかもしれない。

明らかに行き過ぎの正義を行使する、ロールシャッハとオジマンディアスの2人が特にいい。行き過ぎなのは同じなのに、行使の仕方がまるで逆なんだな。必殺仕掛人暴れん坊将軍とくらい違う。大人の為の集団ヒーローモノでありポリティカルフィクション・SFであるともいえる。描き込んでいく暗い色調も、ラスト周辺ではちゃんと真っ当なヒーローモノに回帰して、カタルシスも充分だから構えなくても観られる筈だ。