電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

土用の丑の日に鰻を食べると不幸になる

鰻は好物でもあるので、鰻業界(?)な方々の仕事の邪魔するのもなんだしなあと、ツイッターには呟いたものの、こちらには書かなかったわけだが、もう随分と過ぎたし、鰻稚魚の不漁も続いているようで、食べたくたって食べられない時代がすぐそこに来ているかもしれないから、やっぱりこっちにも書いておこう。

土用の丑の日に鰻を食べる事が節分の恵方巻きのように「縁起モノ」として喧伝されている事に違和感を覚える。実際に作業場で流しっ放しのJ-WAVEではナビゲーターが、もう貴方は食べた私はまだよ的に、まさに縁起モノの扱いだったわけだ。恐らくどこも似たようなノリだった事は想像に難くない。

というような事をツイッターで呟いたら、途端にウィキペディアの知識で「あれは平賀源内の云々」とかリプがいくつもついた。勿論ほぼ同意な意見であるわけだが、薀蓄講釈系のリプが大半だった。そんな事当然知っている。というか、ツイートする前にチェックしている。自分は精髄反射でモノ書くとか言われる事が多かったんだが(ツイッターの時代となりほとんどなくなったけど)、それは単に反応が早いだけで、実際に脊髄反射で何かを書くなんて事はない。電子辞書マニアに近い(と書くのはPCに10冊以上の辞書を入れて常に横断検索している程度でマニアを自称するほど思い上がってないから近いを追記)と言っていいほどで、当然ネット検索も多用する。少しでも書いている事の精度を上げたいと思うからだ。

90年代の半ば、パソコン通信に書き込みを始めた頃からそうだったかといえば、決してそうではない。いい加減な事を書けば突っ込まれ、段々とそうなっていったわけだ。それはツイッター全盛になっても変わらない。

数日前に、分かる人だけ分かるエントリーを書き、一週間たっても未だコメント欄のやり取りが続く事になっている。このエントリーを立てる時、いつもフリーにしているコメント欄を承認制にしようかなと考えた。承認制にしておけば、まず荒れない。誰かにブログ運営のアドバイスを求められたら承認制にすべきと言うだろう。が、じっくり考え、しなかった。最初はフリーしておいて、後から承認制にするなんてカッコ悪いから、最初にフリーにしたら、最後までフリーにする覚悟を固めたわけだ。

そう判断する為には、先週から今週にかけての仕事の忙しさ(つまり自分が対応する時間を取れるか)から始まり、せっかく抽象的に書いたにも係らず、突っ込みが入れば、具体的な事を書かざるを得なくなるなとか、何より今の自分の立場なら書いても迷惑が掛かる所は極めて限定されるよなとか、いやそれでも業界全体へのダメージはあるだろう、去りゆく人間は道義的責任としてそういう事をすべきではないとか、色々な事を考えた。当然の事である。勢いではなく、考えて考えて、その結果、書こうと思って書いたのだ。

自分の文章を長年読んで頂いている方なら理解して頂けると思うが、基本が自虐芸だ。文章はそこそこ書けると思っているが、それを書いてる人間は大したもんじゃない。クズと言われてしかるべきだと自分でも思っている。かと言って、あまり舐めないでもらいたい。匿名で他人を攻撃するしか出来ない癖に長年粘着してくるクズ以下の奴とは、人間としての格も頭のレベルも、何より覚悟の持ち方が、まったく違うのである。

さて、タイトルの「土用の丑の日に鰻を食べると不幸になる」だが、大して意味はない。こうやって書いておけば、まったく根拠がないまま、じわじわネットに浸透し、何年後かには都市伝説として語られ始めるかもしれない。その時はウィキペディア平賀源内に並べてメモ8と書いてくれ。誰か頼むよ。