電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

意味が像を結ばない人

英語学習の話。CNNやら単語アプリの例文を何とか聞き取ろうとして、やあ、まだ全然駄目だなとか思いながら、色々と考え始める。

例えば、現状の自分は、英語を文章でみて、簡単な文章だったりすると、わざわざ頭の中で邦訳しなくとも、すぐに意味が浮かぶ状態が、ときたまというか、ようやく少し戻ってきたという状態。これは聞く方も同じで、ごくごく簡単な文章だと、邦訳しなくとも理解出来る。

今の中学一年生の英語の教科書が、どんな文章から始まるかは知らないが、自分の頃は"This is a pen."だった。そういう事もあって、この文章を見れば、別に「これはペンです」と頭の中で邦訳しなくとも、意味が像を結ぶ。これ、まさに意味が像を結ぶという表現がぴったりで、こういう状態の文章が徐々に増やしている最中というか。

一生懸命聞き取ろうとするから、一語一語を明確に聞こうとする。例えば文頭の"We"や"There"や"It"だったり、それに続く助詞が軽く発音されるので、その辺りが全然聞き取れなくて、結果として最初からつまずく。主語がさっと理解出来ると勢いがついて、後続も聞き取れたりする。

面白いなあと思う。だって、日本語を理解する時に、そんなに一語一語を聞き取ろうとなんて意識しないもの。そんな事しないでも、勝手に意味が像を結んでくれて、結果、長いセンテンスでも聞き取ろうとする努力などしなくとも理解出来る。逆に言えば、英語が出来るという事は、英語においてもそういう状態になるようにしなければならないわけだ。普通に長いセンテンスを聞き流して全文がそうなって初めて、英語が理解出来るというレベルに到達すると。

これは気が遠くなるような道のりだなと溜息をついてみたものの、アメリカでは、偏差値低そうな南部の百姓のガキでも(凄い偏見)、生まれてから4・5年もすれば、そこそこ理解出来るようになるのだがら、なあに鍛えに鍛えた頭脳を持つおれ様ならば(根拠のない過信)、老化分を差し引いても、やはり4・5年もあれば完璧になるだろうなどと考え直しては、しこしこ単語を覚えているのである。

自分は、こうやってブログを書いたり、ツイッターでやり取りしていて、何言ってっか分かんねーよとか、上から目線とか言われる事が多い人間だが、してみるに、他者によって表出された言語を理解する事と、ある言語を言語として理解するという事の、上位・下位概念の関係とその境界の問題などに思い当たり、ははん、なるほどなと思う事が増えてきた。認識論の範疇に突入している。まあ、ほとんどの人にとって意味不明だよなというか、わざと意味が像を結ばないような事を最後に付け足してみました。