電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

日常と記憶

定例英語学習レポート。3ヶ月弱経過。過去レポートは上記「引きこもったままの英語学習」タグから。

1月のテーマは「反省と帰還」……のつもりでいたんだが、まだ反省する材料が不足している為、そこまでいかなかった。なので「日常」とでもしようかな。つまり、学習する事を日常に定着させること。勿論、これには成功した(ことを後付けでテーマにしても意味ありません)。

学習自体の進捗としては、英語耳は確実に出来つつあるが、英語脳がちっとも出来ない感じは変わらない。つまり、聞き取れる割合は日々上がっているのに、ちっとも意味が像を結ばない。

そういえばと考える。昔自分の英語力が一番高かった頃、細部はよく分からないが、何言っているのか何となく分かったという状態が結構あった気がするんだが、何故かまったくこの状態が訪れない。何でだろう。細部を聞き取ろうという意識が強過ぎるのか何なのか、また近いうちにそういう状態がやって来るのか来ないのか。それとも、昔何となく分かったという状態は単なる気のせいだったのか。否、何回もリアル会話で確認した事があるので、まったく気のせいという事はない筈なんだが。

学習教材は先月から変更なし。ここで紹介した単語学習用のアプリは共に1回目を終えて2回目に入った。ちっとも覚えられないのは相変わらず。というわけで、記憶力の低下についても少し。

「覚えた」とは一体なんだろう。

感覚的な表現になるが、脳の中で、すぐに思い出せる領域というか、記憶取り出せ度(?)が決まっていて、つまりあるラインを超えたものは直ぐに思い出せるようになるという感覚がある。全然覚えられない単語が、何回も繰り返し目と耳にしているうちに、やがて記憶領域の中に澱のように蓄積していくというか、領域の海の中を対象自体がゆっくりと浮上してくるというか、そうして境界線を超えて、初めて覚えたといえるレベルに達するというか、そんな感覚をこの数ヶ月味わっている(昔は何でもすぐに覚えられたので、こんな感覚味わったことはなかった)。

恐らく記憶力が衰えるというのは、そのラインが高くなるとか、海が深くなり過ぎて中々浮かんでこないとか、そういう状態なんだと考えると納得しやすい。

また、こんな考え方も出来る。記憶力が衰えたと感じるのは、歳を取るにつれ、記憶するという習慣・必要がどんどん減っていくので、その能力を使ってないからそうなってしまうだけ。だから、この歳になっても繰り返しモノを覚える訓練を習慣付けていけば、若い頃の記憶力は復活する(かもしれない)。

などと考えていても、急に記憶力が復活したりはしないんだが、現時点において、ちっとも覚えられないのは確かで、それでも3ヶ月も続けていると少しずつ頭に入りつつあるのもまた確か。もう3ヶ月位して、まったく記憶力が復活して来ないなら、何か違う事を考えよう。ちょうどその頃、初TOEICの予定だし。