電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

さすらいの英語学習

おめえよお、英語学習続けてるのかよと言われれば、そりゃ勿論続けてるのだが、大した成果もないので、特に書くこともない。

とは言え、学習方法は少しずつアレンジを加え、流し聴きの時間を減らして、精聴にかける時間を増やすようにし始めた。数ヶ月前に、このままでは発音ばかりよくなって、文章を音読すれば発音はいいけれど、ちっとも聴き取れない話せないなんていうイビツな状態になってしまうかも、そろそろ学習内容のバランスを変えないととか書いて、実際バランスを変えていたんだが、変えてかなり経ってから、実はあれでよかったのではないかと思い始めたのだ。

自分で発音出来る音は聴き取れる。これ、色々な学習書に書いてあることなんだが、イマイチ実感として理解出来ないでいた。ところが、教材を使ってシャドーイングをやっていると、ああ確かにそうだと納得出来ることを経験し始めて。音にして口に出してみる、舌が回らなければ、何回でも繰り返す。不思議なもんで、まだ今の自分では歯が立たないと思うような繋がりまくりの音でも、時間を掛ければ言えるようになったりして、そうすると、その音を聴き取れるようになっていて、そうかこの過程こそがトレーニングなんだと思えるようになってきたという感じ。

というわけで、ここ数週間は極端なバランス設定で、やっている事はほぼ精聴のみ(スクリプトを使ったオーバーラッピング、こなれてくればシャドーイング、勿論文中の単語・熟語の確認はやる)。結果として何かいい感じになってきた。

こうして再び育ち始めた自信も、今月23日のTOEICで、またガラガラと崩壊するであろうことも、ほのかに予感しているんだが、そうしたらまた旅立って彷徨って、いつかどこかに辿り着ければそれでいいし、辿り着く場所などないとしても、それはそれでまた一興。