電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

黄昏の英語学習

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。……って、もう2月だよ。

今年も月イチ更新目標だが、何か今年辺りから、ブログに書きたいような事も、ぽつぽつ出て来るような予感もする(多分予感だけ)。

ところで、母さん、僕のあの英語学習どうなつたでせうね。ええ、引きこもつたままモノにしてやると息巻いていたやつですよ。

……実はちゃんとやってるんだよー。但し細々とな。無理ないペースでな。日々の生活環境も色々変わったことだし。いやいや、英語を流し聞きしている時間は、ほぼ減ってないのは確かで。そうやって耳と頭に英語を染み込ませて続けて、そろそろ、みっちり学び込む、本格的なトレーニング復活の日も近いというか。

ただ、ホントに染み込んできたのかと問われると、これがちょっと自信ないのも確かなんだが。では、英語を染み込ますって何だと問われても、これまた難しい。恐らく若い頃に母国語以外の言語をモノにした人間には、実感として理解出来ないと思うのよね。聞いてたら自然と分かるようになったというのが普通だと思うので。ところがこっちは、どうしたって自然に分かるようにはならない歳なんだよな。悲しい。

語彙が増えないのが厳しいところ。単語や熟語をそれのみで覚えるのは、やっぱりどうしてもダメだ(それにしたって、単語アプリを何順も終えているんだよ)。面白くなさ過ぎ。なので方法論として落ち着いてるのは、精聴(?)時間と量を増やして、その過程で語彙を充実させていくことなんだが。結局は、どれだけ時間をかけられるかなんだよねえ。という当たり前の話。

時たま、普通の速度の英語が、意味ごとスルっと入ってくることはある。けど、それが上達の結果そうなったのか、たまたま未知の単語がなかったり、意味を推測できる内容であったからだったり、つまり、昔からそのくらいなら分かったんじゃないかという疑問も拭えない。どうやって英語をマスターしていくのか、それ以前はどうだったのかを、忘れない為にこうやって記録し始めたつもりだったのに、どれくらい英語が出来たか(あるいは出来なかったか)、もうすっかり忘れてしまっているという。

つまり、色々な意味で、衰える記憶力との戦いであるわけだ。人生、黄昏時。