電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

駄目ゴジラ

さて、ハリウッド版「GODZILLA」である。

ハリウッド新作ゴジラが評判よさげなので、何とか日本公開までに、せめて15本目(リブート前)まで観てしまおうと思っているんだが、これ結構苦行だわー。

と軽い気持ちでチェックを始めたゴジラの過去作チェックは、上記の15本の昭和ゴジラは結局8本しか観てないんだが(再見含む)、その後の平成シリーズ7本、ミレニアムシリーズ6本は全部丁寧に観てしまった。その結果は下記の通り(ツイッターにはもう少し詳細を語っているところもあるので、興味のある方はそちらへ)。

こうして、おれのゴジラを巡る、ひと夏の魂の彷徨は、釈対ゴジラが大傑作であるという新事実を発見したことを唯一の収穫として終わるのであった。……もう秋が近い。

いや季節は今まさに盛夏に突入なんだが、封切り日に観てきたわけだ「GODZILLA」。で、観た直後のツイートがこれ。

GODZILLA」。オキシジェンDもメーサー砲もスーパーXも機龍もドン・フライも出ないけど、ゴジラがアレするので、まっいっか、という感じ。……ギャレス、実はガメラの方が好きなんじゃねーの疑惑。 あと、アレの動きが監督一作目と同じなのは、ちょっとどうなの。

最初はこの辺で止めておいたんだが、辛抱堪らず、はっきり書いてしまった。

封切り初日だから、ちょっと遠慮しておこうと思ったゴジラについてだが、もういいや、はっきり書いておく。すげえ駄作。日本リスペクト、原典リスペクトはあるので、赤点ぎりぎりという表現が正しいと思う。

というわけで、今回はギャレス・エドワーズ版「GODZILLA」を酷評する。以下、徹底的にネタバレとなる。未見の方はご覚悟のほどを。結局、おれにとって出来がよく大好きなゴジラはこの3本しかないというのが結論だ。

   


では、以下本編。

まずは、ゴジラと戦う怪獣(がいることは、予告や煽りでは周到に伏せられている)のネーミングからして駄目だ。ムトーはねえだろムトーは(しかも何故かギャオスと「モンスターズ」のタコ怪獣を足して割ったような造形)。オオタチとかヤマアラシとか名付けたパシリムが如何にセンスがいいか、否、如何に今回のセンスが悪いかという話。制作に入ってる日本人、止めろよ。ここから駄目過ぎ。だからヘドラや今回みたいな駄作しか作れないんだ。

あまりに人間ドラマが薄い。過去のゴジラでも、ここまでドラマが薄いのは珍しいほど何もない。しかも徹底的に空振り。人間ドラマは何も始まらない。否、始まるんだがあっという間に序盤に終わってしまう。そこ以外は誰も動かない。米軍どこまでも無能で無活躍(さすがに指揮官バカ過ぎて苦笑)。渡辺謙の芹沢博士は、アイパッチ芹沢よりむしろ志村喬の役割を負わされ、解説しては嘆いているばかり。出番が多い割りには大した役じゃない。

けどさ、人間ドラマなんていくら薄くとも、ゴジラゴジラなんだから、それでもまだ何とかなった筈なんだが、そもそも、原水爆実験はゴジラを生み出したんじゃなく殺す為のものだったという設定からして、何だよそれ状態。というか、ここは理解の仕方によっては、ゴジラと日本への最大の冒涜と理解することさえ出来る。ここまでデタラメで無責任な原水爆実験肯定は初めてみたわ。

挙句、過去のハリウッド作品と同じように、核兵器原発の脅威を、過小に評価していて駄目に拍車がかかる。ダイハード5か(これのチェルノブイリと核の扱いはとにかく酷い)。過去ゴジラだって、コスモクリーナー的な機能が描写された奴は何本もあった。特に1984年のリブート版「ゴジラ」(廃炉を完成させてくれる便利ゴジラ)。ところが、今回は、ゴジラ自身は核とは何の関係もなく、コスモクリーナー怪獣・ムトーをやっつけに現れるだけなんだな。やっぱり橋を横から壊すハリウッド怪獣映画の伝統は踏襲してたりするが、頼むよゴジラ、ムトーがフクイチ周辺を除染するだけでなく、世界中の核廃棄物を食べきるまで倒さないでよ!

あまりに凡庸なベビーフェイス(ホントはこれをタイトルにしたかったんだが、ネタバレなんだよな)。

こうして封切り前に散々語られていた「原発を巡るシリアスなテーマ」はむしろ欠点としてあげつらうべきとなる。全然ファーストを踏襲してないじゃん。まるで逆というか。

そうして、後半まで溜めて溜めて、ようやくゴジラが口から光線を吐く。放射能という描写はされていないので光線としか表現出来ないんだが、やっとカタルシスが訪れる。溜めまくった演出のお陰で、おおーっとなる。が、後から考えると、スペシウム光線状態。最初からそれ使えよ!

どこまでも凡庸で駄目なゴジラなのであった。デブだし。少しダイエットしなさい(おれも)。