電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ゴジラにみる文明批評と演出の問題

ハリウッド版ゴジラの新作が、封切りを前にして評判がいい。

日本では何故か遅れて7月公開だが、これに合わせて日本映画専門チャンネルゴジラ全作放送をやってて、とりあえず録画するかと、しこしこ作業。あわよくば公開までに全作観ようと思ったものの、さすがにこれは辛くて断念してしまった。ファースト・ゴジラの出来のよさは改めて認識したんだが、元々自分はファーストだってそんな大したことないだろう説であって(ガキの頃と数年前の2回は観てて、今回少なくとも3回目)、あくまで他が酷いから相対的に浮かび上がっているんじゃないの説というか。

というわけで、おれは基本的にゴジラファンでも何でもないというのが前提。で、全作チェックは早々に断念したが、ポイントポイントで色々とつまんで観てて、ちょっと印象的な2本があったのでそこからの雑感。

まず、1971年・11作目「ゴジラ対ヘドラ」。



これが映画サイトでの評価が高い。監督はこれがデビュー作の坂野義光という人で、この人が今回のハリウッド版ゴジラの制作にも加わっていることや、タイトルから想像出来るような公害問題直結の文明批評的な視点が、ファースト・ゴジラの水爆実験や、新作の原発事故絡みの内容ともリンクすることもあるんだろう。またヒッピームーブメントの影響をモロ被った前衛的なカットがあることや、グロを強調した子供向けには思えない暗いツクリなども評価されているようだ。

一方、その2年後の1973年・13作目「ゴジラ対メガロ」。



こちらは60年代の東宝の粗製乱造ともいえる映画製作を支えてきた一人でもある福田純が監督。若大将シリーズなども撮っている人の作品にも係わらず、最低のゴジラ映画なんて評価もある。何といってもウルトラマン型ヒーローのジェットジャガーというのが出てきて、これが超ショボい。人間サイズのロボットなのに、突如、意思をもって巨大化してメガロと戦い始めたりする(けど弱い)。メガロを擁する地底人が、ウルトラセブンのノンマルトと設定そっくり(パクリに近い)、まったく文明批評性をもたずに単なる悪役になってるところも、低評価の原因かもしれない。

要はこの2作、ともに1970年代の前半の低予算化したゴジラながら、評価が両極端。ヘドラは高く、メガロは低い。

ところが、おれは「ゴジラ対メガロ」の方が全然面白かったんだな。

ゴジラ対ヘドラ」は、お話がちゃんと繋がってない。確かに前衛的なカットは面白くとも、その手のカット以外は積極的につまらない。まったく意味がないまま、だらだらと切れてないシーンが頻出し、いや意味なんかなくとも面白ければいいんだが、面白くもなくて、見ていてイライラする。ゴジラに、空を飛べる力を与えてしまって(笑える飛び方)偉い人に怒られた説(があちらこちらのサイトで書かれている)以前に、監督としての技量が大胆に劣ると思う。映画作品としてまるで駄目。酷い出来。

一方「ゴジラ対メガロ」。前半のきびきびした展開はどうだ。カーチェイスだって悪くない。全体のお話自体にかなり無理があるのも、地上波の戦隊モノに見慣れた目でみれば、大して気にならない。何より無駄なシーンやカットがまったくないのがいい。繋がった話がテンポよく展開していてまったくダレない。後半のゴジラと怪獣の乱闘にしたって、あれ何でさっきやられたゴジラがいきなり復活してるのとか、前後の話が繋がってない箇所が複数あるヘドラに比較して、メガロは一応筋は通っている。コミカルな演出は好き嫌いが分かれると思うが、苦手な方の自分に不快感を持たせるほどではなかった。手練れの監督が低予算に苦しみ、過去作品の使い回しをしながら、何とか完成させた珍品以外の何物でもなく、むしろ積極的な肯定的評価が必要なのではないかとすら思う(勿論、傑作とかいうレベルには達していないけど)。子門真人が主題歌を歌ってるぜ!

その辺の半可通のゴジラファンなら、ヘドラには文明批評性や前衛性があってと過剰に持ち上げていればいいが、マニアな映画ファンで、コアな作品至上主義者としては、そうはいかないんである。

大体、町山さんあたりまで原発問題を扱ってるから今回のハリウッド新作はいい的なノリがあって、そのノリは公開以降に間違いなく強くなることが予想されるのであって、そこが致命的に気に食わない。そんなモノあろうがなかろうがどうでもいいじゃないか。「パシィック・リム」を観よ。映画の出来、作品の出来というのは、もっと本質的な部分で評価されるべきで、文明批評性などとはリンクされるべきではない。

この2作と、丁度同時期の1970年代前半に書かれた筒井康隆の名エッセイに「笑いの理由」というのがある。このブログでも過去2回触れている。

「作り物だからこそ強いんだ」
「笑えない理由」

被るものがある。パロディやドタバタは風刺や批評として効いていると偉くなる的な、権威主義的な評価基準に対し、そんなモノはパロディやドタバタの完成度には何も関係ないのだと、筒井が高らかに宣言した記念碑的エッセイだ。

あれから40年経っても、世界はまるで変わってないわけだ。高々怪獣映画のゴジラだが文明批評性があるから凄いのだ的な言説は未だに語られ続け、おれはそういう意味づけの仕方と持ち上げ方が未だ嫌いだ。そんなことは作品の面白さとは、まったく関係ない。

最も、今回のハリウッド・ゴジラ原発問題とのリンクが、文明批評性というより、話題性と商業的視点から煽りに利用されるのは、しょうがないというより、王道であるとも言え、そこまでを否定するわけじゃないんだが。

それにしたって「ゴジラ対メガロ」において、人型ロボットのジェットジャガーは、倒すべき敵が現れた時、突如意志を持ち、巨大化し、ゴジラと共に敵を倒した後、その意志を失い、命令を与えないと動かないロボットに戻るわけで、なんて素敵なファンタジー、ここにもう少し説得力を乗せられたら、平成ガメラはきっと来るよ的な傑作になっていた可能性すらあることは主張しておきたい。

などと書いていたら、新作ゴジラに対する興味まで失いそうになってしまったんだが、実績ゼロに近い監督のギャレス・エドワースが抜擢されるきっかけとなったデビュー作の「モンスターズ/地球外生命体」を観てみたら、これ、かなり面白い。というか上手い(とは言え、こんなに何カ国も海外ロケした映画が、低予算を売りにしてたら、インディな邦画の人々に怒られると思う。低予算より、小規模でハプニング的な撮影方法こそ強調されてしかるべき)。

……うーむ、やっぱり新作ゴジラには、かなり期待していいんだというのが結論だったりする。