電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

何もないからこそ凄い「アウトレイジ」

世界のキタノ「アウトレイジ」を観た。いや大会前に映画とか観てる場合じゃないんだが、ちょっと勢いつけたくて、強引に時間作って。まだ公開したばかりなので、ネタバレは、ほぼなし。

傑作だと思う。

が、この映画は褒め方が難しい。つまらないとか失敗作だとか、つまり否定的に扱うのは簡単。問題点を指摘しようと思えばいくらでも出来る。ストーリーが平板だとか、言われているほど、バイオレンスも凄くないとか。また、褒めるんでも、ごく軽く、まあいいんじゃないの充分面白いよねとか言うと、按配がいい感じであるのは確かで。エンターテインメントなヤクザ映画として、普通に面白い。2時間弱、まったく退屈しない。が、その程度の映画は、いくらでも存在する。

例えば、初期のキタノ作品は、大胆な時間の省略があるとよく指摘される。その意味では、この映画はいたって普通だ。が、今までのキタノ・ヤクザ物では丁寧に描かれていたモノが、極端に省略されていて。いや省略というより、それを描くことを周到に回避している。それは、情趣であり情感なのだ。

何てモノを省略してしまったんだと思う。その結果、バイオレンスが残ったのかと言えば、そうでもない。この映画においては、バイオレンスは日常であり、特筆すべき事項ではない。実際、スプラッター系が大の苦手な自分でも、うわっと軽く目を伏せる程度で収まってる。それが当たり前な世界の話なんだな。その結果、この映画には何もなくなってしまった。そこが凄いと思う。この映画にはヒーローもいなければ、かと言ってアンチヒーローというべき存在もないし、勿論、感動など何処にもない。にも関わらず、圧倒的緊張感を維持しながら、この時間を見せきってしまうことの凄さ。

何もないから、意味付けも難しいんである。パンフで高橋源一郎(ちょっと意外な人選な気がした)が『日々のニュースで、「アウトレイジ」が上映され続けていることを』と結んでいて、つまりは、この映画のすべては現実の暗喩だ的な結び方をしているんだが、それまで、自分と同じように、如何にこの映画には何もないかと書いていながら、そこに持っていってしまうのは、ちょっとなとも思う。そんな意味など、この映画は必要としていないのではないか。逆に言えば、この映画は何もないからこそ、あらゆる解釈を拒んでない。そこがまた凄い。

過去作のどれに一番感触が近いのかと言われたら、多分「その男、凶暴につき」だとは思う。が、似ているゆえに、まったく違うところも際立っていて。ラストシーンにそれが象徴されている。詳しくは書かないが、アップにせず、引きのままなのだ。それが、シニカルな意味を押し付けて来ず、異様に心地良い。

北野武は、いい意味でクロサワ化している。少なくとも「その男、凶暴につき」の頃のキタノだったら、今回のような芸達者を集めても、ここまで踊ってくれない。役者は例外なく、全員いい。強引に数名あげるなら、三浦友和加瀬亮三浦友和「転々」もよかったが、いつの間にか凄くいい役者になっていた。

これだけの役者を集めれば、役者が勝手に踊ってくれるという事実。これは間違いなく現在の北野武の演出力そのものだ。世界のキタノの名にまったく恥じず、加えて、まだまだこの監督は大きな期待が出来ることを、充分に証明したといえる。

いやね、この項、自分らしくない語り口になっているなと思うんだが、それには理由が明確にあって。この映画はどんな解釈をも拒否してないが、自分に引き付けて語ることだけは、拒否しているのだ。そこにあるのは、ただ圧倒的な映像の緊張感。だから、個人の思い、自分の大好きな自分語りなどには、どうしても、引き付けようがない。そこがまた凄い。