電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

現実とリンクする物語−「修羅の門」を分析する

月刊マガジン連載の川原正敏海皇紀」が完結し、「修羅の門」が再開されるらしい。

ここでグリフォンさんがかなり細かい分析をしている。色々考えさせてくれる。うむその通りという部分と、そりゃ違うだろと絡みたくなる部分があって。人にモノを考えさせる文章は、それだけで優れたものであると思うので、いい文章である事を認め、加えて、こういうのは美味い酒でも飲みながら、延々薀蓄語り合いたいよねというのを前提として(つまり別に喧嘩を売りたいわけじゃない)、あえて、違うと思った部分を強調して書く。

自分は川原正敏の作品、「修羅の門」「修羅の刻」シリーズより、「海皇紀」の方が圧倒的に好きである。ここ数年、好きなマンガは? と聞かれたら、ワンピースの次に答えてきたのが「海皇紀」であるくらいに。勿論、好き嫌いは好き嫌いでしかないが、何より物語として、マンガとして優れていると思う。多分、その辺りからして、グリフォンさんとは話がズレるんじゃないか(と思わせるような批評にグリフォンさんの文章はなっている)。

開始当初の「修羅の門」が、いかにもB級格闘マンガ風であったのは、その通りかもしれない。

んで、修羅の門は基本的に4部に分かれている。
1・神武館篇
2・異種格闘技トーナメント篇
3・ボクシング篇
4・ヴァーリトゥード篇。
(1と2はまとめて、計3つと見ることもできるか?)

序盤の「神武館篇」と「異種格闘技トーナメント篇」がB級であるのはまったく同意(それでも充分面白いんだが)、続いてグリフォンさんは、「ボクシング篇」を「二流の作品」、「ヴァーリトゥード篇」を特Aとしている。

ところがだ、自分が「修羅の門」シリーズ(とあえてシリーズをつけるのは、勿論「修羅の刻」とのリンクを含めるから)で、一番面白いと思い、かつ好きなのは、実はこのボクシング編なんである。面白いだけでなく、この作者はこのボクシング編で、初めてB級な作品から脱し、グリフォンさんの言い方を借りれば、A級・特A級のマンガ作者に成長したと考えている。

グリフォンさんは、ボクシング編に対する評価が低い理由を丁寧に書いているが、それを理由とするなら「ヴァーリトゥード篇」だって、いくらでも突っ込みどころはあるんだよな(例えば、リアルタイムで読んでいた人間からすれば「ヴァーリトゥード篇」はリアルに追い越されてね? というのが一番)。

修羅の門」は実在のモデルが存在しまくるマンガだ。ボクシング編も例外ではない。ところが、グリフォンのヤローはよくいる格闘技オタク、しかも典型マークで、総合とプロレスを未だにごっちゃにしていて、総合以外のコンバットスポーツに理解がない。ボクシングという競技に対するリスペクトがない。だから、そのモデルの現実の逸話を知らない、とまでは言わないまでも、興味ないだけなんじゃないかという気がしてならない。

タイソンとカス・ダマト、ジョージ・フォアマン、ありがちな白人ホープ(見た目は違うが時代的にはトミー・モリソンか)、そして、エディー・タウンゼント。加えてボクシング以外からはカール・ゴッチ。これだけのモデルを絡ませた物語の横軸に、ネイティブ・アメリカンの話の縦軸が交差し、外伝(まあ今時の言い方をすればスピンオフ作品)の「修羅の刻」と初めて密接にリンクさせた構成。

リアルタイムの進行もよかった。ボクシング編の連載途中に、外伝「修羅の刻」のネイティブ・アメリカン編を挟んで連載してみせたのだ。あくまで独立したストーリーとして充分感動的なこのストーリーが、本編にもたっぷり効果を上げていた(余談になるが、「ワンピース」が扉絵でスピンオフなストーリーを早いテンポで同時進行させ、その世界観を深めていくのを成功させているよね)。

極論してしまえば、物語にモデルなんて必要ないんである。物語とは人類の知の集積みたいなところがあって、だからこそ「ステロタイプ」という言葉も存在するし、この人物のモデルは実在するこの人という具体性を持つことは、作品への強烈なフックにはなるものの、結果として時代性が強く出てしまうことが多く、古びる可能性も高い。一発ギャグでもブログネタ(笑)でも、時事ネタはインパクトは強くなるもの、古びるのも早いのと一緒だ。

だから、具体的なモデルが特定し難い「海皇紀」の方が「修羅の門」シリーズより、物語としては方が圧倒的に完成度も高く、かつ優れている(実在の人物が登場する歴史物としての「修羅の刻」の評価はまた別の話)。モデルを使ってフックさせるというテクは、マンガというジャンルに取っては、当たり前の方法論であり、逆にいえば、この手のマンガでモデルを使わないということは、フックが少なくなるというハンデを背負っているわけで、「海皇紀」はそのハンデを立派に乗り越えてみせたと思う。何より素手ゴロ一番的な個人の強さから、人としての強さとは何かという方向へ、主題が成長したのが素晴らしい。

グリフォンさんも書いているが、夢枕獏がこの「修羅の門」を自分の作品のパクり扱いしたのは有名な話だが、それは特に上記の「異種格闘技トーナメント篇」であって、川原正敏というマンガ家が、初めて物語作者として、夢枕獏と肩を並べるレベルに到達したのが、「修羅の門」のボクシング編であると自分はそう思っている。

 

 

※お勧めとしては、あえて「修羅の門」ではなく、「修羅の刻」から上記でも触れたネイティブ・アメリカン編の4巻(さすがにこの巻のみ読んでもツラいかもだが、話はこれ1巻のみで完結している)と、「海皇紀」の1巻を。