電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

興行屋よ、競技の旗を低く上げよ

昔のブログで、競技とは何か、その具体例として、判定とは一体どういうことなのか、というのを実例を挙げながら、比較的アカデミックな論調で連載したことがある。自分のPC以外には、ログを残してない。が、その後も、これだけ競技と判定という問題に特化して考えた文章を見かけたことがないので、未だに再掲する意味はあると思っていたんだが、何せ、当時のブログはデスマス調で書いていて、まずはここが気に入らない。挙げている実例が、今となっては古過ぎる為、出来ればここも直してしまいたい。さらには、結びが尻切れトンボで終わっているというのもある。

そんなこんなで改稿するのも面倒で放っておいた。このままで行くと、一生ほったらかしだ。なので、直しは誤字脱字を修正するくらいにして、現状からの注釈を加えつつ、再掲することにした。

亀田興毅ファン・ランダエタの第一戦、判定結果で大騒ぎとなったあの一戦の直後からスタートしている。2006年の夏。

タイトルは、1回目のタイトルでもあり連載のタイトルにもしたもの。カッコつけてるだけで(サリンジャーのパロディーで気恥ずかしいというのもある)、連載タイトルとしては分かり難いので、次回までに何か違うのを考えることにする。

全13回あって、さらには落穂拾い的な話もいくつかあって、その辺どうするか。適宜、考えながら再掲していくつもり。

「興行屋よ、競技の旗を低く上げよ」 2006.08.08


亀田興毅の判定問題。そして、HERO’Sのストップ問題(*1)。あまり話題にはなりませんでしたが、MARSアタックの話(*2)。


よくない意味で、語りどころ満載なことが続いてます。例えば、亀田問題などは、競技の側面からみた、あの判定の擁護(つまり、自分と同じ論旨ですね)は、かなり見かけるようになりましたが、どうしたって、あの亀田ですから。亀田興毅亀田大毅亀田和毅、3人揃って亀田3兄弟ですから。どこかで感情論が混じってしまっていて。


当たり前に地上波で総合格闘技が放送されるようになった昨今の情勢において、もう対処的な語りでは、ことの本質に辿りつけないところに来ていると思うんです。


例えば、自分は、現代のあらゆる格闘技は、競技性と興行性のバランスにおいて、その多くの要素を分析できると考えています。逆にいえば、格闘技をやらせる側(不遜な表現)は、常に、自興行・自大会を運営する際に、競技性と興行性のバランスについて考えていかなくてはいけないとも思ってます。


それでは、競技性とは何か。興行性とは何か。


そもそも、競技って何? 格闘技と格闘競技って、意味違うの?


そういう、ある意味マクロな視点から、色々なことを考え直す、いいきっかけのような気がするんですね。元々、この話題、自分のライフワークみたいなところがあって。こういうことを考えてくれる人って、ホント滅多にいなくて。どうせ、誰もやってくれないので、自分が考えるしかないかなと。


第1章として、まずは「ジャッジ」について考えてみようと思います。勿論、今回の亀田の判定やらも念頭において。どこで競技性と興行性の話に収斂していくかは、乞うご期待ということで。


あまり急がず、少しずつ、自分のアタマを整理しながら、話を進めていこうと思いますので、長くお付き合いのほどを。まあ、2・3日に1回くらいのペースで進めていければ(恐らく最初のウチはもう少しペース早いと思いますけど)。


題して「興行屋よ、競技の旗を低く上げよ」。今回は、このタイトルにしましたが、この名前でテーマを作って、そこに放り込んでいくことにします(後から過去ログ見やすいように)。


そういや、まだ他にも続けようと思って、途中のままの話もいくつかありますしね。いや、誰からもリクエスト来ないことをいいことに、投げ出しているんですが、そっちでも書いておきたい話は、山ほどあったりします。まあ、このブログを始めたこと自体が、昔某所で数回書いて、未完のまま放り出しているアレ(笑)の続きみたいなもんですし。


それでは、今日中には、第1回UP予定なので、しばしお待ちを。

*1:桜庭和志とケスタティス・スミルノヴァスの一戦。色々な意味で怖い試合だった。
*2:総合にしては珍しいポイントルールを採用した大会だったんだが、その評価を含め、ここでは割愛。