電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

原発とジャーナリズム、危険な話

これを書いている現在では、まだ福島第一原発がどうなるのかは、わからない(2011/3/13早朝)。が、どのような事態になろうと、今後、反原発的な議論が再浮上するのは間違いなく。が、再浮上しようが、恐らく日本の国策になってしまっている原発推進の方針は、変わらない可能性が高く。

自分の年齢以上の人間であれば、原発の構造とか、結構わかっている人はいる筈で。それは反原発がかなり強いムーブメントになった時期があったからだ。自分も反原発系の本、数冊読んだから、そこそこ知っている。

何と言っても、反原発に火をつけたのは、広瀬隆の「危険な話」(八月書館)。アマゾンで見てみたら、下記のように、書籍情報に画像がついてないし、レビューもゼロ。しかも、文庫は絶版みたいだ。まあ、歴史的使命を終えた本なのかもしれないとも思う。けれど、今読んでも、充分、刺激的な本だぜ。良い意味でも悪い意味でも。若い人には是非とも読んで欲しいと思う。

恐いんだよ、この本。勿論、かなり眉唾な部分(当初から指摘されていた)もあって、さらには、広瀬隆のエキセントリックな雰囲気だったり、ヒステリックな言動だったり(これはこの本の内容もそうだ)、その後のユダヤ謀略史観への傾斜のインチキ臭さもあって、つまり、作者自身が説得力を失ったような感じで、反原発ムーブメント自体が終息してしまった。

最近でも、廃棄物処理などが社会問題として扱われる事は、ぽつりぽつりとある。が、日本の原発推進行政は、民主党が少し前に反対から賛成に転じて、反原発という発想自体が積極的に扱われることが益々減ってしまった。

上記の通り、自分は数冊の本を読んでいるだけだから圧倒的に素人だ。その素人の自分でも、水力や火力と比較すると原子力はコストパフォーマンスが高いというのが実は嘘であって、廃棄物処理のコストや今回のようなリスクまで考慮に入れれば、どんなによくたってトントン、少なくとも、今回掛かるコストだけでも、もう原発の方がパフォーマンスが低くなる事は確定だと確信する。

ところが、奇跡でも起きない限り、これからも原発は推進されるんである。何でかと言えば、そういう経済と政治の構造が出来てしまっていて、恐らく深い部分でその構造を壊せないようになっているんである。そこがタブーになっていて。なので、ここを変えようとする政治家は、放っておくとまず現れないと思う。民主が賛成に転じたのはそういう事なんであって。

広瀬隆が書いたような、安易なユダヤ謀略史観では説明出来ない部分で、実はもっと重要な肝がある筈なのだ。けれど、そういう所に手をつけようとするジャーナリストがいないという事でもある。今からでも遅くない、本気でこういう所に手をつける元気と勇気と、何より能力を持つジャーナリストの登場を期待する。ネットがある今なら出来ない事はない筈だ。

自分はあまり政治的態度を表明する事がないんだけど、原発に関しては、明確に反対だ。良い事は何もないよ、こんな危険な物。今回の事をきっかけにして、日本が、奇跡的に、脱原発の方向に舵を切る事を待望する。