電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

サイバー格闘技界今昔

たまには格闘技の話。とは言っても、格闘技それ自体というより、それを巡るネットの話。ツイッターで昔話をしていて、何となく書きたくなった。

昔「カトー・クン・リー・鷹」という人がいて(*1)、アミューザで掲示板をやっていた(*2)。この掲示板は、20世紀の末から存在していて、既に板主が自分の掲示板に登場しなくなってから10年近く、それでもその時々で「カトー・クン・リー・鷹」(以降、鷹ちゃんと記す)とは別なハンドル名で何回か復活して(*3)、何度目かの復活の時の決め科白が「自分はミルコ藤田から見ている古いマニア」というギャグだった。

その当時は、それがギャグだったわけだ。ミルコ・藤田の頃からしか総合を見ていないのに古いマニアを名乗るという状況が、当時の総合を語るネットの状況を上手く表現していた。つまり「ミルコ・藤田から」は、ニアイコール「PRIDE(しかも中期)以降から」であって(*4)、鷹ちゃんは、推定1990年代の初頭の総合草創期以前から、いわゆるUWF系からパンクラス修斗を見ていた人間なので、その彼が別ハンドルで「ミルコ・藤田から」と書くことで、二重三重のギャグになっているという仕組みだった。彼は、熱烈な船木(とパンクラス)ファンであり、そのハンドルを名乗って書いていたのは、船木・ヒクソン戦(*5)直後までだったと記憶しているが、自分とはリアルでも面識があり(*6)、今秋、久々にJCBホールで大箱をやるDEEPさんの、現時点では最後の大箱大会だった2002年の有明コロシアムで(*7)、数年ぶりに会場で会った。その時点で、既に数年ぶりだったのだ。待ち合わせたわけではなく、ホントに偶然に、席がすぐソバで。

久々に会えば、お互い数年前を思い出し調子に乗って、ついついタチの悪い弥次、いや野次なども飛ばしがち(*8)、リングサイドで写真を撮っていた某著名カメラマンに名指しで「XX、見えねえぞ、しゃがめー!」などと叫んでいたのは、きっとおれでなく、鷹ちゃんだ(*9)。

ちなみにこの文章、自分にしては珍しく「はてな記法」(*10)の「注釈記法」を使って書いているが、普段はやらない。別に論文を書いているわけではないので、注釈に飛ばすより、カッコを使ってその場で説明してしまう方が自分の好みなんだが、この項に限っては、あまりに注釈が多過ぎ、カッコが多くなり過ぎて読み辛くなってしまうからだ(*11)。それこそ、派生な思い出話が山ほどある。

2ちゃんねるで、自分が自分のスレッドを長年持っていたなんて話も今や遠い昔のことだ(*12)。その頃(*13)、ネットの書き手で誰が文才があるかと問われて、明らかに自分より文才がある人間として、2人の名前をあげている。その1人が鷹ちゃんだった(*14)。

こういう話を書いていると、おれって、根っからのネット野郎だよなとしみじみ思う。ところが、この「ネット野郎」という言葉だって、今や注釈が必要だし(*15)、タイトルにした「サイバー格闘技界」だってそうなんだよな(*16)。考えてみれば、久保豊喜親分との縁も、今や伝説となったグラップリングの興行「コンテンダーズ」の観戦記をネットに書いて、それにクレームつけられて、呼び出されたことが最初だったし(*17)、スマックガールの運営の側に入ったのも、自分がネットで「ReMix」を絶賛したのがキッカケみたいなもんだった。

自分はあまり過去を回顧したがるタイプではない。いつも前向きといえば聞こえはいいが、そうじゃない。思い出したくもない過去ばかり持っているからだ。けれど、ネットを通して嫌な思いをしたことって、そんなになかったりする。だから、思い出話も気楽に出来る。

最も、自分が嫌な思いをしてなくとも、他人に嫌な思いをさせた記憶は、ぼんやりとわずかにかすかにある。恨みも多少は買っていたらしい。いやホントに覚えてないんだが。いじめられた記憶というのは、鮮烈に記憶しているものの、いじめた記憶は、いつだって曖昧なものだという話である(*18)。

*1:誤解のないように付記しておけば、AV男優の名前をプロレスラーに引っ掛けて、パロっているハンドル名。

*2:という掲示板群があった。いや未だにあってこの掲示板自体も存在はしている。最早まったく違う板になっているが。

*3:常連には、あくまで鷹ちゃんとわかるようなカタチでの登場だった。決して鷹ちゃんであると明確には認めないんだが。

*4:PRIDE人気もあって急速にそういうファンがネットにも現れていた頃だった。

*5:2000年5月の東京ドーム。

*6:会場ではよく顔を合わせていたし、掲示板の過去ログをまとめる作業をやってあげたりしていた。

*7:メインは田村・美濃輪だった大会。その後に長南・マッハ戦があった大田区体育館があるが、あそこは大箱と言えるか微妙。まあ客席数で考えたら、JCBと変わりない筈だが。

*8:懐かしいギャグだねこれも。「弥次郎」というハンドルのリングスファンがいて、「カトー・クン・リー・鷹」のライバル、いや一方的に鷹ちゃんにイジメられていたのだ。自分はリンパン対決の構造においては、明確にリングスファンであったのに、何故か鷹ちゃんと話が合い、一緒に「弥次郎」をおちょくったりしてた。と書いてしまったが、今は「リンパン対決」なんて言葉に注釈が必要な時代になっている。リングスとパンクラスのファンが喧嘩ばかりしていた時代があったのだ。きっとマジックミラーだったのかもしれないね(という科白にも注釈が必要なんだろう多分)。

*9:ちなみに、2002年といえば自分はまだ純粋なファンであったので念の為。

*10:って知ってる?

*11:それにしても、この注釈記法、やたら書き難いね。というか、編集し難い。やっぱり2度と使わない。

*12:自分はこれを延々やっていた為、ブログ開始が遅かった。ブログという話になるとこれはこれでまた面白い話が色々あり、例えばグリフォンさん(id:gryphon)は昔からあちこちの掲示板に顔は出していたものの、対話を中心とする掲示板という形式は元々得意ではないらしく、ブログという独り語りの形式が登場以降に本格的にブレイクした一人だったりする。

*13:2ちゃんで書いていたことは自分の黒歴史だとは思ってないが、某☆の先生の売り出しを本格的に手伝っていたことは、黒歴史だという意識は若干ある。最も、ネットで書いていること自体が黒歴史といえば、未だにそう看做したがる人は多いし、自分もそれでいいと思っている。しかも黒歴史的と言われてしょうがないような書き方こそが好きだったんである。自然に任せて書いていると、ついつい人のよさが出てしまい、すぐ「人格者」などと呼ばれてしまいがちだった自分としては、むしろ自分を汚す、偽悪趣味的な書き込みの方が性に合っていた。

*14:もう1人のことは怖くて書けない。

*15:当時の「紙プロ」誌で某選手がネット掲示板の書き手に向けて言った言葉だ。

*16:面倒くさいから書かないが、自分は(笑)なしには、こんな恥ずかしい言葉を使えない。多分このタイトルが初めての(笑)抜きの使用だと思う。

*17:呼び出して、何を怒るわけではなく、飯を食わしてもらって、その挙句自分に代表されるネット人脈を取り込みにかかるところが、この親分の親分らしいところで、実際この親分、ネットはあまり見てないんだが、そういうアンテナ自体は昔から異様に敏感だった。

*18:自分とのやり取りをキッカケにネットに書くことを止めた人を10人近く列挙出来てしまう。自分は「出てけ」「書くな」とは書かない。誰でも書く権利はあると思うからだ(その決め事を破ったことも数回しかなく、その数回ははっきりと覚えている)。なのに何故か相手が勝手に出てったり、書かなくなったりするんだよ。おれのせいじゃねえ。まあどっちにしろ、偽悪趣味が過ぎて、心底、酷い奴だったなとは思う。今もあまり変わってないという説もあるが、一応立場もあるので、大っぴらにお見せ出来ないのが残念なところ。