電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

ラフメイカー・グリフォン

只管続いて、今回はツイッターへの要望の件。おれのはここグリフォン様のご意見はこちら

ところで、グリフォン様は、近頃やたら、おれに「論」だ「議論」というんだが、それは議論という言葉より、ディベートという言葉からイメージされるような、つまり、とにかく言い負かしゲーム的な揚げ足の取り合いを指している気がする。おれとではなく、他の人と議論しているのを眺めていても、妙に逐語反論みたいなことをしたり、何かPC通信や掲示板初期時代の、レスの応酬が続いて、引用符が延々階段みたいになっちゃう(←これ分かる人は分かると思うんだが)ような奴ね。

今回でも、結構そういうことする。例えばおれの文章をこう引用している。

ツイッターの特殊性の話を先に片付けておく。ツイッターは元々ツイッターへアクセスを行うAPIを外に公開して外部アプリの開発を促進させることで成長した。その分、オフィシャルの機能は貧弱(略)・・・貧弱さがツイッターの特徴だったわけだ。勿論、現在ではAPIが1.1となり若干風向きが変わってきている。オフィシャルの機能を充実させる方向性も見えてきた。けれど、未だ外部アプリの認定制度なども導入していて、つまりツイッターに認定された外部アプリは半公式アプリなわけだよ。つまりツイッター自体が外部アプリを使うことを奨励しているんである。
はてブの話とは大きく事情が異なる違うケースであること、はてブに強引にアナロジーしても全然意味を成さない

で、自分が公式に要望することの正当性の主張が延々と続く。

さて、この引用元のおれの文章から、グリフォンは何を省略したか。上記でも引用符によって改パラグラフは表現されているが、元は2つのパラグラフ。ひとつ目のパラグラフは途中省略されているものの、かなり長く引用されている。が、ふたつ目のパラグラフは大して長くないのに、何故か最後の部分だけ、引用していないんだな。おれの元発言はこう。

はてブの話とは大きく事情が異なる違うケースであること、はてブに強引にアナロジーしても全然意味を成さないことが、これで理解出来るだろうか。つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つわけだ。

おれは、この2つのパラグラフで、グリフォンのアピールの不当性を論証しているのではなく、グリフォンにアプリを勧めた人間の発言の正当性を論証しているのだ。だから、そう結んでいる。それをパラグラフの最後をあえて削除したことで、完全に文意を歪曲している。誤読というより歪曲。

これって、相当やり方ズルくない? グリフォン様って、もう少し論理とか知性とか常識とかに誠実な人だと思っていたんだが、そうじゃないんだな。


大元のツイッターのやり取りにもう一度戻ってみよう。そりゃね、最初に、おれがおちょくった。だから頭かっと来てしまったのは同情する。かと言って、アプリ云々に関しては、現時点でリアルでグリフォンと友好な方々がお勧めしてるんだぜ。それにもグリフォンは、いーやそういう問題じゃないんだ、オフィシャルのデザインと機能の問題なんだと延々やるわけよ。

時系列に整理してみようか。

まずは、グリフォン様はツイッターでDM読み漏らしてしまった。ここから、この話は始まるわけだ。まあこれをグリフォン様の不便としよう。それをきっかけとして、グリフォン様は、グリフォン様の不便を解決すべく考えたオフィシャル改革案をツイートした。

おれは、「今頃」ツイッターのオフィシャルに対してそんな要望を書いてるグリフォン様を茶化した。おちょくった。勿論、既に機能を満たしているアプリの存在も提示した。

グリフォン様、ぶち切れ。

グリフォン様の不便を親身に考えるリアル知人の方々が、グリフォン様の不便を解決する手段を提示した。外部アプリの使用だ。

が、これに対しても、何故かグリフォン様は自分の主張の正当性を訴えるばかり。

まあ、こういう流れだよな(主観)。

さて、グリフォン様の不便を解決するのに、確実かつ迅速な手段は何か。

一番は自分で書いたように、メールソフトの振り分けを早くちゃんと作ることなんだが、それは置いておくなら、間違いなく外部アプリの導入だよね。オフィシャルへの要望なんて、それが美的にも機能的にも圧倒的に素晴らしいものであっても、単に普通にツイートしただけでは、実現する可能性など、限りなくゼロに近い。

だからこそ、リアル知人の方々は、グリフォン様の不便を解決する為、アプリの使用を勧めた。こちらはグリフォン様が決断しさえすれば、今すぐに実現可能だ。しかも多くの外部アプリは要望掲示板なども設けて、ユーザーの希望を取り込むことも多い。新たな要望が出たら、それも取り込んでもらえるかもしれない。にも関わらず、グリフォン様は、自分がオフィシャルへ要望することの正当性を主張するばかり。

出発点は、グリフォン様の不便であったにも関わらず、グリフォン様の関心は、その解決ではなく、実現の可能性は極めて低いオフィシャルへの要望に完全に切り替わってしまっているわけだ。しかも、そこで出てきた改革案は、控え目に表現しても凡庸、はっきり言えば我がままなだけ(であることの根拠は、既に書いた)。

読み飛ばされたDMが、草葉の陰で泣いているぜ。

まあね、リアル知人からしたら、だはは、グリフォンさんらしいなで終りだと思うんだ。飲めばすぐ寝てしまい、たまに起きているかと思ったら、気持ち大きくなって延々自慢話を始めたり、格闘技それ自体に関してはまるで見る目なしで、おちょくられるとムキになって否定したり、ブロガー飲み会の主催には妙にマメで、かと言って、遠慮気味に言っても空気は読めずに、天然な、それでいてその自覚がまったくないグリフォンさん、そういうグリフォンさんを、みんな愛している。そんなグリフォンさんらしいなあと。

おれは、その仲間の輪の中には、もういない。そもそもね、グリフォンヴァルネラビリティの高さが、おれを刺激しまくるんだ(ええと、このヴァルネラビリティは、近年システムの脆弱性に使うそれではなく、ローレンツの攻撃誘発性、いじめられやすさという意味でのヴァルネラビリティね)。つまり、いじめたくなる。加えて、グリフォンが一番書いて欲しくないことを、おれは書いてしまう(まあ、この問題は今回でも何回か仄めかしているが、おれにとっては結構重要)。そりゃイヤだと思うんだわ。不快になると思うんだわ。しかも、こっちは、もう、グリフォンともグリフォン周辺ともリアルで仲良くしたい意思もなく(為念で書いておくが、これは彼らの問題ではない、おれがそういう人生を選んだということ)、既にネタ元としか考えないから、開き直って、益々酷いことを書く、書ける。総合格闘技のインサイダーに戻る気がまるでないから、思い切りマスコミや関係者に酷いこと書けるのと一緒。勿論、おれはおれの実名を晒した上でな。

だって、グリフォン、突っ込みどころ満載なんだもの。今回の話だって、おれが、理系バカ自慢、IT系知らない自慢、カッコわりー的なことを書いたら、急にこんなこと書き始めて。このツイッターの件なんて、まじスゲー。ここなんて特に。

はーい、
それは以前やってましたー。なぜその後、他の通知もメールで知るようにしたかといえば、単純にそっちの反応も知りたいし、メールに記録が残っていると何かと便利だからです、それだけ。だからDMだけを浮かび上がらせるために他はやらない、という選択はしておりません。


それにありがたいことに、各種の反応は右肩上がりに増えていった(ありがとうございます)ので、その設定をしたときは反応トータルでもそんなに多くなかったこともある(笑)。


で、メールでそれが毎日蓄積されていると、ほぼそのメールの通知の記録と「みんなの反応(@つながり)」は一致しますね。そうするとメールを見るのと「みんなの反応」を見るのは、ほぼ「ダブルチェック」となります。そして、二回見るのはそれなりに有効でもある。みんなの反応はアイコン表示や太字強調などがあってメールがずらりと来るよりは見やすい、などもあり相互補完だ。


だが、それゆえにDMなどのわずかなずれが生まれ、メール通知が来たDMを何度か見逃してしまうことになった。まず自分の実感として不便だったので、メールでのDM着てるよ通知を見逃したときでも「画面表示で知らせる機能」があればいい、とそういう要望・・・というより願望を述べた。この一連の流れが、どーかしましたか?


というか、結局あなたはすべて利用者のニーズやシチュエーションの想定が単純すぎるんですわな。まあ資質的に、むいてないというか。これは資質だからしゃあない。

……意地張んなよ。

なんだよ「それゆえにDMなどのわずかなずれが生まれ、メール通知が来たDMを何度か見逃してしまうことになった」って(爆笑)。

何回読み直しても意味わかんねーよ。何がずれるんだ? 時間? 場所? 内容? 見た目? ずれてなきゃそれは同じモノであって、ずれどころか、ウェブとメールという元々違うもんだから補完になるんじゃないのか?

それを、うっかり両方とも見逃してしまったわけだろ? どうしても、埋もれるのが嫌なら、自分で書いたように、メールソフトで振り分けて、かつ未読管理をちゃんとやりなさい。ウェブじゃ未読管理が出来ないだろ? それが面倒くさく、かつ外部アプリが嫌なら、いじり始めたアンドロイドのスマホだかタブレットだかに入れてるオフィシャルのアプリ(筒抜け)、そっちはDMだけプッシュしなさい。いい大人なんだから、我がままばっかり言ってるんじゃありません!

既に2通り(DMそれ自体の画面を含めれば3通り)の通知をしてくださっているオフィシャル様に向けて、得意気に要望呟いても、無知ゆえのボンクラな要望だから、採用されることは決してない。いやいや、最初から実現の可能性なんて、考えてもいないんだろう、要は酒飲んだ時の自慢話と同じで、どうです、こんな事考えたんですよ(満面の王様顔)って話だろ?

おかしくって、堪んないんだわ。

本能が、グリフォンを笑い者にしろって命じるんだわ。

そうして、悔しくなってしまったグリフォン曰く「メモ8には論がない」(予想)。あってもなくてもどうでもいいよ、そんなの。どっちにしたって、面白いんだから!


いやあ、今回はカリスマブロガー・グリフォン様の数多いリアル知人は、頷きながら爆笑の連続だった筈(読んでいるとしてだがな)。おれも書いてて楽しかった。

ありがとう、グリフォン! ありがとう、ツイッター! ありがとう、インターネット!

ターミネーター・グリフォン

ここの続き。毎度迅速なグリフォン様の反論はここ。今回も冒頭から楽しい。

しかしまあ、彼と関わりたくないという人の多くが、賢明にも、実際に関わらないようにしている中で、当方も同様に、彼とは心から関わりを持ちたくないと思いつつ、丁寧に対応しているんだからわれながら偉いというか賢明ならざる気がしますな。

おれと「関わりたくないという人」で、グリフォンと面識ある人は、ええと、あいつだろ、それとあいつ、多分彼もそうかな、いやあの人もそうだと、指折り数えて指が足りなくなり、せっかくまとめて藁人形に釘打ってやろうかと思ったのに、泣く泣く断念した。いやいや、そういう哀しい嫌われ者自慢はどうでもいい。

誰も覚えてないと思うが、昔は自分も結構粘着されることがあって、その経験から思うに、あの頃と違って、ツイッターはブロックすればいいし、ブログのコメントは承認制にすればいい(承認制にしていると、すべての意見を受け入れる気がないのか的な空気が確かにあって、そうし難くかったんだな)。粘着は、それだけでほぼすべて撃退出来る。しかし、どうやらグリフォン様、ツイッターでもブロックはあんまりしないようだし、ブログコメも承認制にしていない。……おれと同じだ。ひょっとすると、おれ達って、似た者同士かしら(ぽっ)。

まあ、アルファなグリフォン様と違って、おれの場合とっくに過去の人、いや大した過去すらない人であり、今やおれへの粘着は皆無、現役バリバリのグリフォン様に似た者同士なんて言ったら、失礼にあたります。

しかしだ。今回のこのやり取りに限っては、茶化したり、おちょくってばかりのおれに、「逃げた」「議論なら相手する」「論がない」とグリフォン様が、繰り返し繰り返しご所望されたので、まあ今週は暇だしと思って(とはいえ、その今週は先週であり今週は別に暇じゃないんだが泣)、ご相手させて頂いているのは確かだ。ここは強調しておきたい。

 * * *

さて、今回反論があったツイッターの件も、読んでいて、まず「ん?」、続いて穏やかに微笑んでしまう箇所が複数あって、そっちから書いてしまいたくなるんだが、まだ片付けてないことが残っている。何と言っても、グリフォン様が「ここ重要」と強調された部分。既に前々々回(苦笑)のここの後半ね。まずは、おれの文章の引用から。

>(1)けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。
>(2)少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。

まあ、意図して釣ったわけじゃなく、あれがあるから放り出すように書いても大丈夫だなと思っただけなんだが、結果として大漁となってしまって、おれ、照れてしまう。いやね、グリフォン、クロム・ディスの直後に、こういうツイートしてるんだわ。

gryphonjapan

この話題ついでに素人的な、ソフトの不便話を書いてみよ。アウトルック・エクスプレスのメールってずっと「返信」「全員に返信」「転送」だけど、Aさんにメール後「あれ、あの件を書き忘れた」と、もう一本を送るというパターンって多いと思う。なんで「追伸」ボタンってないのかな。ずっと素朴に疑問

あれーっ。何かこれは妙に謙虚だな。「欠陥」とか言わないし。「素人的」(笑)。「ないのかな」(笑)。「素朴に疑問」(笑)。何でだろ。クロムに対してはこうだった。

gryphonjapan

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

うーむ、随分違う。勿論、おれの知ってる昔のグリフォンは、上のような謙虚な書き方をする、いい子だった(きっぱり)。おれがそう思うんだから間違いない。かと言って、グリフォンはいい子ではないという意見は「絶対に排除しません、許容します」。

疑問自体は、まあ、おれは追伸が出来るメールアプリ使ってるけどな! で終りなんだが、しかし、他のアプリがアレだからといって、はてブと何とかブの関係からして、Outlook Expressに文句言っていいのだから、もっと「欠陥」とか詰ればいいのに。何でしないんだろうな。それはそれに先行するツイッターの件とか、直前のクロムの件とか、ちょっと気にしちゃってるのかなー?

で、ちょっと議論からは脱線するが、もう少し、グリフォンOutlook Expressへの疑問について。実は、この疑問は結構スジ通っていると思うんだ。ただ実現しないのは、やっぱり、そんなに需要が多くないんではないかというのが当たり前の結論。つまり新たなボタンを作ってまで、ただでさえケチりたいボタン数(は少なければ少ないほど、操作全体が分かり易くなる)を増やすほどではないと。

そう思う根拠も簡単に。おれが使っている多機能メーラーの「秀丸メール」は、開発者がユーザーの要望をマメに吸い上げるだけでなく、グリフォンのようなユーザーの言い掛かりにも丁寧に対応することで有名な偉い人なんだが、事実関係として、この機能、実現したの結構最近だ(2年位前だったかな? 記憶曖昧)。つまり、要望が量的にも質的にも大してなかったということ。しかも、ボタンを新たに増やすのではなく、自分の出したメールに「返信」する。そうすると「追伸」になる。そうやって、グリフォンの希望する機能を実現している。ちなみに、秀丸はボタン表示は細かくカスタマイズ出来るので数を増やすことには問題ない。にも関わらずそうはしなかった。さらにちなみに、Outlook ExpressはVer.6で、この「自分の出したメールに返信すると追伸」、試してみたが出来なかった。

閑話休題

さて、上記の(1)(2)に関しては、これだけで終えてもいいんだが。けど、グリフォンが「ここ重要」とまで言うので、もう少し付き合う。

「欠陥」を使う文章を随分とたくさん出している。まずは短文が列挙。けど、これは前後の文脈見ないと分からないよねえ。というか、何の為にこれ挙げているのか意味が分からない。誰か「欠陥」を使って文章作れとでも言ったのかしら。

なので、もっと自信満々に持ち出しているグリフォン自身が書いた過去の3例にあたってみますかね。

三谷作品といえば奇人同士が絡むのですが、奇人の奇行というのは結局はわがままの一種です。そこで「愛すべき奇行、わがまま」と受け取られるのか「利己的でやな感じ」となるのかの演出も重要。
それでみると、終盤で主人公女性が阿部寛の弁護士にとった行動は、やや後者に自分は受け取りました。
まあそんな欠陥も感じつつも、たしかにおもしろい映画で、ヒットはうなづけると思いました。

「そんな欠陥も【感じ】つつ」。主観であることを明示している。

ヤングマガジンヤングアニマル格闘技漫画は…「多すぎだ」という、これはこれで欠陥がある(笑)

ギャグじゃねえか(苦笑)。例になってない。

あと、海皇紀にも続いた欠陥だけど、この作者はヒーローも脇役も「すごいぜ」「強いぜ」の描写が
「ピンチのときにも動ぜず、にやりと笑う」
「それを楽しいなあ、とか口に出す」
「平凡なその他大勢が意外な結果だ!と驚くとき、一人だけ予想通りだと平然(或いは予言を最初に言っておく)」
こういう演出ばっかり。いや、基本はそれでもいいと思うけど、演出のバリエーションが、特にキャラクターごとに欲しいと思いますよ。

「こういう演出ばっかり(なのが欠陥、メモ8注)。いや、【基本はそれでもいいと思う】けど〜」。右顧左眄して反対意見を「絶対に排除しません、許容します」ことを明示。

さて、もう一回、クロムの例を引用しておこうか。

gryphonjapan

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

はい、違いは明らかですね。

まあね、ツイッターは140字という制限があるからね。上記なんて、ぴったり140字。主観なんだが、それを表明する余裕がなかった。うんうん。きっとそうなんだろ(親切メモ8)。しかしだ、この例示群が、

仕事は、
すんだな。
そこで示したとおりだよ。


一番下の、全体を支える土台は崩した、あとは全部が、がらがらがっしゃーん・・・・

ってほどのこと示しているかな。否、いない。それほどのことを示しているという意見を「絶対に排除しません、許容します」と言いたいところだが、さすがにこれをして、おれの、ボタンってこうなってるんだよという話や、クリックはドラッグ気味にした方が誤操作が減るという話や、ましてやグリフォンが提示した新案を、それはこういう理由でダメなんだよと教えてあげた話までが、「がらがらがっしゃーん」したという意見は許容し難いな。

さて、読者諸兄はこの件如何に判断する。……しまった、誰も読んでいませんでした(苦笑)。


グリフォン様、週末はお忙しそうなので、次の反論がある前に、多分ツイッターの件も書かせて頂きます。勿論、それを待つ必要もない。

スイーパー・グリフォン

議論は続くよ、どこまでも。まあ、おれは、あんまり議論してる気になってないんだが。

ここの続き。グリフォンの反論はここ。前回のおれの、答えないとこはどうなのかな? という疑問に対するグリフォンの返答は以下の通り。

などなどについて、端的にお答えしよう。それは前の文章に書いてある、という点では「ループ」だが、惜しむべし、示すループ点が違う(笑)。
要はその話、下のこれで全部包みこんでるからだ。

で、この「端的」の指し示すものが凄い。既にこの点とこの点は自分が論破している。だから……。

・・・はい、
仕事は、
すんだな。
そこで示したとおりだよ。


一番下の、全体を支える土台は崩した、あとは全部が、がらがらがっしゃーん・・・・

だそうだ。いやーこれスゲーってホントに声出して言っちゃったよ。素直に感心した。

確かに端的に答えている。途中で出てきた新しい論点などには、自分が言い出したことにすら何も答えないし、細部の疑問などにも答えません。さらに言えば、この不毛なやり取りの中から、例えばシステムやらデザインについての知識なり見識なりをおれが提示したとしても、土台が崩されるような人間の言うことは一切学ぶ気はありませんと。

「端的にお答えしよう」の対象に、何故か、別にグリフォン向けじゃないよと、わざわざ断って披露した豆知識まで入っていて、それすら「全体を支える土台は崩した」から、がらがらがっしゃーんだもの。

挙句、おれが素直に記憶違いを訂正した点を捉えて、こういう記憶違いをする人間の書いたことは格闘技ネタすら信用出来ませんと結んでいる。

いやいや、あんまり感心したもんだから、丁寧に要約してあげちゃった。


しかし、なるほどな。凄くよく分かる。

グリフォン、これまでも、何でこんなことまで意地になって訂正しないんだろと思うことが度々あったわけだが、こういう、議論観(?)を持っていると。つまり、小さなことでも、自分のミスやら間違いやら無謀な主張を訂正しちゃうと、彼にとって「土台が崩」れると思うんだな。だがら、そのミスやら間違いやら無謀な主張が、彼が実は心の中で旗色悪いと思ってようが、間違ったと認めていようが、いや勿論正しいと思い続けていれば尚更のこと、表では、決して訂正しないし認めない。

というわけで、これ教えてあげたの、彼は理解できたのかなとか、分かってくれたらうれしいなと思った話には、一切答えてくれない。悲しい。

しょうがない。……淡々と続けよう(爆笑)。

 * * *

さて、まだ前々回ここに対して、反論していない箇所が山ほどあるので、ひとつずつ。

今回はツイッターへの要望編(なんだが、最後に話はクロムのタブの話に収斂する)。話の発端は、クロムの話と似たようなもんで、おれがおちょくったことに始まる。

自分の発言のほとんどは下にあげているが、グリフォンの発言に関しては、わずかしか引用してない。が、グリフォンもツイログをやっている。ここね。3月7日から3月10日あたりのやり取りなので詳細確認したい方は参照されたし。……いないよ、そんな奴(苦笑)。

このあたりのやり取り、お互い陰険でエアリプがほとんど。けど、これ結構面白いわ。おれが(笑)。

gryphonjapan

twitterは「ダイレクトメッセージが届いてますよー」というのを画面表示で知らせる機能があればよみ逃がさないで済むのに。最近返信遅れが多く、みなさまもうしわけありません。

ここからスタートした。

nagao_memo8

ここにもツイッター始めて何年も経ってこんなこと言ってる奴がいた(苦笑) RT @gryphonjapan: twitterは「ダイレクトメッセージが届いてますよー」というのを画面表示で知らせる機能があればよみ逃がさないで済むのに。最近返信遅れが多く、みなさまもうしわけありません。


プッシュを表示出来ないクライアントなんて、探す方が難しいよね。オフィシャルのweb表示ですら見えるわけで。

ここだけで止めておけば、まあグリフォンが変な方向に暴走することもなかったのかもだが、自分は余計なことまで書いた。まあ、ツダさんのプッシュなんて切った方がいいよという主張を書いておきたかったというのが一番なんだが、それを枕にして自分のプッシュに対する対処や、見落とし回避の方法をのせ、ついでにグリフォンをおちょくるという構造。

nagao_memo8

そういや、プッシュの話、ツダさんが一番新しい本でSNS依存にならない為にはプッシュ通知は切った方がいいとか言ってて、まあそうだよね。PCメールに転送はしてるけど、いわゆるリアルタイムでピーピー鳴るようなの、もう2年以上切ってるわー。


自分の場合はPCメールに転送しとくというのがキモで、要はツイッターでもブログでも通知系はPCメールに転送しておく。そうすると、要は最低限チェックしなくちゃいけないのはこのメアドだけということになり、それを忘れることなんてない。


つまり新しいSNSやら何やら始めて、そのたびに、チェック忘れてましたなんてことを言うはめになり、まあグリフォンの場合はわざとそのせいにしているフシは見受けられるが、私は情弱何も分かってませんと言うようなもんで、それを恥ずかしいとは思わない感性の方がヤバいと思うんだよな。


なんつーか昔からグリフォンがやる、典型的な理系分かりません自慢というか。例えば、微分積分分からないとして、さすがに自慢できなくとも恥じる必要まではないと思うが、分数の四則演算出来なかったら、恥じるべきだと思うんだよな。

で、こういう反論が来たと。

まあ、プッシュ通知の話を始めてしまったのが、グリフォンを暴走させたので面白いともいえるんだが。こんなことを書いている。

その中に「こうすればいいのだ、しないとは恥ずかしい」とドヤ顔な反応があったが、それが「メールに転送する」で、読んで思わず爆笑。これは偶然だが、当方ピンポイントで既に措置済みのことだもの。

歪曲はお互い様だよな(笑)。おれは「こうすればいいのだ、しないとは恥ずかしい」なんて書いてないもの。何が恥ずかしいのか取り違えている。「チェック忘れてましたなんてことを言うはめにな」ることが恥ずかしいと言ってるだけであって、別に言わなきゃいいだろそんなの。そもそも、DM読み落としてましたスイマセンなんて話を、表に書くのが、おれは理解出来ない(悪いとは言ってないよ)。直接謝罪すればいいだけの話なんじゃないのか?

最初に書いたアプリの話に関しては、その後、おれ以外の方からも突っ込みが入り始めて、おれはそれを眺めてこう呟いたのみ。

nagao_memo8

あはは。グリフォンぼろくそ(笑)。


要はさ、自分の情弱ぶりとミスを棚にあげて、オフィシャルに改善を求めてしまうその痛さが笑われているというところに気付けないのがアレなんだよな。しかも、とっくに火打ち石ではなくライターを、オフィシャルは既に提供しているということすら理解出来ないという。

で、ここで引用した猫レンジの話に繋がるわけだ。

おれは混ぜっ返すだけ。さて、ここにはグリフォンの大好きな論理はないんだろうかね。

nagao_memo8

あれだよな、クレーマーとして生きていく恍惚というか。つまり自分の無知には逆ギレ、クレーマー化を許し、多少なりとも詳しいことにはそれはそれで自慢しまくると。そのバランスの取れなさ醜さに気付けない。中途半端に「知」とか「見識」とか「教養」を振り回すタイプがこうなると最低。


グリフォンの批評は、いつだって自分自身にだけは向かない。


まあ、アレだよな。匿名でしかも実名がバレると倫理的にも実利的にもヤバい(と本人が思っている)立場で、隠していること自体も隠してネタにすら出来ず、偉そうにアルファブロガーとかやってると、そうなっちゃうのは分からないでもない。想像に難くないって感じ?

nagao_memo8

どうしても自説を譲ることが出来ず、知らないことに無理してモノを言おうとして、益々ドツボにはまっていくグリフォン。哀れ。


知らないことは知らないと言えるおれでいたいね!

で、おれ以外の人間からもアホ扱いされて、今度はユニバーサルデザインだなんだと言い出す。この痛さって論理もクソもなく説明不要だと思うんだわ。

gryphonjapan

「よく確認すればいい」で済むっちゃば済む話だが、こう工夫を重ね、将来的に普及することで進歩に繋がる。「ユニバーサルデザイン」の概念からすれば当然だけど。 / “USBの挿し間違いを防ぐデザイン。一方、日本はどっちも挿せるようにした…” http://www.hiroiro.com/gadget/12736.html

が、さすがに見かねて、親切メモ8まで登場してしまう。

nagao_memo8

あれさ、意地っぱりなグリフォンにアドバイスすると、ツイッターに似た例をググりにかかるから失敗するんだよ。思考がツイッターそれ自体に向わないから、ツイッターの特殊性に気付けないという。まあAPI1.1以降、ちょっと旗色違ってきているとは言えるんだが。


こっちは、バカでーツイッター何年もやってて未だそんなことも知らないでやんのって笑ったんだから、一発お得意のギャグでもかまして、げっそうだったのかって認めりゃそれで終りなのにね。

で、ようやく気付いたらしく、こうなる。

gryphonjapan

あらら、話の元の人が方針を転換しちゃった。知らないことを一貫し「知らない」と言ってたのは当方で、それを過去の腹いせかなんか知らんが「知らない自慢だ」と騒いだのが先鋒だったのにくるりと手の平が(笑)。他の例を「ググ」らずとるも何も「はてブ論壇」は、はてなでそのまま今騒ぎやん。


てか途中から「論」に対して「論」がそもそもかえってこなくなってたけどね。でも論が尽きたらそれを無理じいしちゃいけない、と自戒自戒。


でもまあ、「USBの向きの確認不要な工夫」みたいな例は今回のでより、詳しく調べられたけどね。結構感動しつつ笑ったし。まあ、論点は「ツイは特殊性がある」という話になったようだから「『毎回向きを確認すればいい』で済ませないこういう取り組みこそ、確かに普遍的である」とは既に共有できた。

おれは最初からツイッターのことを言ってるんだよ(苦笑)。こうやって抜き出してみれば明らか。今回のクロムの件より酷くて、こんだけ茶化しておけば、まあ読む人は分るだろとこのままにしておいた。論理も充分あるしねえ。

ツイッターの特殊性の話を先に片付けておく。ツイッターは元々ツイッターへアクセスを行うAPIを外に公開して外部アプリの開発を促進させることで成長した。その分、オフィシャルの機能は貧弱なんである。逆にいうと、そのオフィシャルの貧弱さがツイッターの特徴だったわけだ。勿論、現在ではAPIが1.1となり若干風向きが変わってきている。オフィシャルの機能を充実させる方向性も見えてきた。けれど、未だ外部アプリの認定制度なども導入していて、つまりツイッターに認定された外部アプリは半公式アプリなわけだよ。つまりツイッター自体が外部アプリを使うことを奨励しているんである。

はてブの話とは大きく事情が異なる違うケースであること、はてブに強引にアナロジーしても全然意味を成さないことが、これで理解出来るだろうか。つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つわけだ。

続いて「とっくに火打ち石ではなくライターを、オフィシャルは既に提供している」件。これグリフォン読み漏らしたか、あえて無視したかで反応はなかった。簡単な話だ。ツイッターは各種プッシュを切ることが出来る。つまりDMがそんなに重要なら、他の通知を切ってDMだけプッシュを受ければいいだけ。はいこれでDMを見落とすことはありません。グリフォンの使い方なら、結果プッシュがこなくなる他のモノは「@つながり」で確認すればよろしい。

プッシュというものはフラットに飛んでくるからプッシュなんであって、それぞれの重みをつけてやるとしたら、それは受け手の仕事だ。これが基本。が、ツイッターは既にDMのみプッシュを特別扱いする方法、つまり、グリフォン言うところのライターを提供しているんである。

どうしても画面で確認したい、けれど「@つながり」画面じゃ埋もれてしまう。だからその画面でDMのみ目立たせて欲しい。まあ、ここまでいけば単なる我がまま。それが単なる我がままである理由も書いておく。致命的な話。

グリフォンにとってはDM命なのかもしれないが、他の人にとっては、そうであるとは限らないわけだ。つまり、人によってはDMよりファボだったリツだったりの通知が重要な人がいるということ。結果として少なくとも「DMだけ目立たせる」ということは、根本に勘違いした要望であるということ。

じゃあ「@つながり」画面で通知されるものを、それぞれ好きな色なりマークなりを付けられるように設定出来るというのはどうだろう。うん、これは悪くないかも。DMを目立たせたい人はDMのみそうする。他が必要なら、他にそう設定する。こういう要望なら、そりゃ重いとか過剰スペックだという突っ込みはあり得ても、整合性は取れている。けど、プッシュをデフォルト状態のまま、全部受けている(らしい)グリフォンは、そんな複雑な設定使いこなせるかな。かなり不安が残る。

まっ兎に角、グリフォンツイッターに対して、こういう考察も行わないまま、はてブだ、グローバルデザインだと言い出す。痛い。とにかく痛い。


さて、この件、今回のクロムの件と似ていることに気付いただろうか。グリフォンがクロムに対して指摘している「欠陥」、このボタンが目立たないという奴に対し、グリフォン以外の第三者が、そんなボタンどうでもいいから、他のあののボタンを目立たせて欲しい、そっちの方がよほど「欠陥」だという指摘がありえることに、思い当たっているんだろうか。

こういうことが想定されているから、ボタンの機能は一律にボタンであることに意味があるんである。

結果として、今回のクロムのタブ削除ボタンの件、仮にまともな要望が残るとしたら、ボタンの概念/機能を変えないままで、何らかの警告効果を追加するには、そのボタン自体ではなく、タブのフォーカス(これがIEがやっている方法)なり、他の何かの機能と連動させるなりの方法しかない。つまり最初の「IEと同じにしてくれ」。が、それは設計思想でクロムは採用していないと丁寧に説明した。

つまり、グリフォンの「欠陥」指摘、今まで控えめに、まああってもいいんじゃないのレベルに扱っていたが、「端的」に表現すれば、よく分かってない奴のマヌケな意見ということだ。それでもグリフォンは言うんだろう。おれはそれが便利だと思うんだ、おれはそう思うんだ、世界中の誰がそう思わなくても、おれはそう思うのに、お前はそれを否定する酷い奴だ、と。そういう自分の痛さ恥ずかしさに気付けない男、それがグリフォン


ふう。これでようやく前々回の前半部の反論終了。次はグリフォンが「はいここ重要」と書いた部分。……はあ、面倒くさい。だから、おれは、おちょくってるだけが好きなんだってば。

ルーパー・グリフォン

ここの続き。グリフォンの反論はここ

これさあ、こっちが何を言っても、延々屁理屈書き続けて、こっちが呆れて止めるまで続けるつもりでいるとしか思えないんだが。

IE】カーソルがタブに来ていない(青信号)→カーソルがタブの一部に触れると、×が浮かび上がる(黄信号)→押すと閉じる範囲に来ると×が赤に変色(赤信号)

【クローム】、上に対比するとカーソルがタブの外でも、一部に触れていても同じ(青信号)→クリックすると閉じる×が赤丸で囲まれる(赤信号)

せっかく、おれがボタンには「常態(ノーマル)/焦点(フォーカス)/押下(プッシュ)」の3つのステータスがあり、さらにはこのステータスとは別に、表示/非表示、有効/無効があると教えてあげたのに、まったくスルー。しょうがない、おれが整理しよう。

今回のグリフォンの分析からは、IEもクロムもプッシュが漏れているんだが、まあこれは本論とはあまり関係ないので、目をつぶってもいいと言いたいところだが、IEのプッシュは深く右下に数ピクセル沈む動作で、Windowsの操作作法に縛られたMSらしい挙動。まあここまで触れると、脇道にそれていくだけなので、最後にオマケとしてWindowsボタンのティップスとして載せておく(に留めるが、充分今回の話と関連はある)。

さてクロム。ノーマル時で黒バツ、フォーカスは、カーソルが「押すと閉じる範囲に来る」と赤丸反転、プッシュでさらに微妙に赤丸の色が変化する。プッシュがIEと比較して沈まず(右下に移動しない)、微妙な変化しか見せないのが、クロムらしい。のぺっとしてるんだね。

ちなみに、フォーカス時の動作(グリフォン言うところの赤信号)は、IEの方は黒バツが赤字化するだけなので、これ赤丸反転するクロムの方が、危険は喚起しているんではないかと最初から書いているのに、どうも前回は認めた気配があるそこは、今回はノータッチ。

これに加えて、グリフォンが「黄信号」として触れている機能。IEの方は表示/非表示の制御が、タブにフォーカスがくるか、最前面に出る場合にかかる。有効/無効のステータス制御は、このボタンについては、クロムもIEも使われていない(常に有効)。

さて、グリフォン、前回は新案を提示していたんだが、今回はそれには触れてない。つまり「常態1/常態2/焦点/押下」を要求するのはさすがに理不尽と理解できたのかもしれない(だったらうれしい)。で、何か新しい主張をしているのかといえば、何もない。元に戻ってしまっただけだ。

だったら、それはもう一回ここ読んでねという話だ。

簡単に繰り返す。グリフォンが望む、IEの表示/非表示の切り替えがホントに黄信号効果があるのか疑問だが、仮にそれを認めるとしても、クロムは最初から×ボタン表示をすることで周知を徹底し、かつ、赤信号をデザインの整合性まで破壊してまで強めていると最初から教えてあげている。

この件、早くもループしてしまった。

たださあ、このやり取りを見ても、この子ズルい書き方すると思うんだが、こっちが丁寧に説明したことについては、まったくコメントしないわけ。つまり今回の反論を見る限り、前回の「常態1/常態2/焦点/押下」を取り下げたのか、何となく触れてないだけなのか、はっきりとさせないわけだ。取り下げたと言いたくないのかしらね?

こんなやり取りが議論なのかのかねえ。おれにはそう思えないんだが。


さて、ひとつ間違いを認めておこう。失敗した。

いや、(語句不正確)なのではなく(内容正反対)とかもしくは(内容恣意的歪曲)と書いてください(爆笑)。
あの話に関して、猫と電子レンジ・・・つまり使いづらさというものが「法的責任が問われる」ことでそれが笑い話になり、作る側のにとっては理不尽だね、という話になる・・・、とぼくは教えてあげたはずですが。
つまり
ぼくも、
「裁判の場でそういう主張をした人が勝って、作る側が法的責任を負った(かどうかは知らないが)ら理不尽だ」、という立場に立っているんだけど?読解力が不足すると、かくもヒサンな目にあう・・・って、こっちが迷惑、「益々大変」なんだけど(笑)!!

これに関しては、実際のやり取りを読み返してみたら、確かに、かなりおれが歪曲していた。それは認める。記憶で書いてはいけないね。ごめんなさい。

が、しかし。実際のやり取りはこうなんだぜ。

nagao_memo8

要はさ、自分の情弱ぶりとミスを棚にあげて、オフィシャルに改善を求めてしまうその痛さが笑われているというところに気付けないのがアレなんだよな。しかも、とっくに火打ち石ではなくライターを、オフィシャルは既に提供しているということすら理解出来ないという。


で、グリフォンは、世の中には理系IT系に弱い人間がいっぱいいて、その人たちは知識を深めようとする必要はなくて、世界中はそこに合わすべきと思ってるんだよな。ハイレベルなことなら、まあその論理も分からくもない。けどさあ、DM見逃しちゃうとか、始めて何年してから言ってんだという。


もうそこまでいくと、次は、電子レンジに濡れた猫を入れてはいけないとは書いてなかったの世界に突入だよな。

gryphonjapan

巷に謬説を目にし、一つ糺しておく。一種都市伝説的でもある「猫と電子レンジ」話、あれ基本は「そして訴訟になった」、つまり【法的責任、賠償責任】が問われる事態に対し「そりゃ理不尽だ、滑稽だ」となってのオチだから。猫レンジを防ぐ機能なりデザインあれば、それ自体は普通に優れた工夫だから。


また一寸、本質を衝いてしまった(笑)

さてこれをどう読む? 確かに『作る側が法的責任を負った(かどうかは知らないが)ら理不尽だ」、という立場に立っている』。ここがおれの記憶から抜け落ちていた。が、同時にその理不尽な申し出によって実現する機能、過剰スペックについては肯定している。これも明らか。

「猫レンジを防ぐ機能なりデザイン」、仮にそんなものがあり得るとするなら、それは優れた機能であるから、搭載すべきと言っているとしか読めない。つまり、猫レンジという言質は「理不尽だ、滑稽」なのに、その言質が具現化させる機能は素晴らしいと言っているとしか読めないんだが。

だからこそ、遂にグリフォン、猫レンジを言い出したアホと、自分を重ねちゃったのかと記憶に残ったと。グリフォンの言う事は理不尽で滑稽だが、それが実現すれば、その機能は凄い機能なんだぜ!

これでツイッターへの要望の件への前振りにはなったが、もう長くなった。まだオマケもある。

その他の部分については項を改めて。本日中には何とか書きたいが、どうだろな。相当うんざりしてきたけど、ガンバリマス。ここまでについてのみで反論したいなら、それも結構。ここが自分の本論なので。

で、以下は上の方で書いたオマケね。グリフォンはどうせ読んでも分らないと思うけど、これは結構役に立つ。


 * * *


【初心者向けWindows操作ティップス「ボタンダウンとアップ」】

以下のツイートはグリフォン向けというわけではなく、そこそこ技術畑向けの雑感として書いたので、前回も前々回にも触れなかったが、この件周辺の話題として、自分はこういうことを呟いている。

まっ、プッシュアップでイベント拾うのが当たり前のOS文化(これはマックもWinも一緒)に、Webのダウンで処理する文化が入ってきて、色々混乱したんだよな。この辺、作る側で苦労した人は多い筈。

これ読んだだけで何のことか理解出来る人はあまり多くないと思うので若干解説する。

Windowsにおいて、操作者がボタンをクリックして何かが動作させた場合、ほとんどは「押されたボタンが元に戻った、つまり押しが解除された」状態(これをボタンアップと言う)のタイミングで処理を開始する。つまりボタンを「クリックした」と操作者が思っている動作は、多くの場合「ボタンがクリックされ、戻された」ことが処理の起点なのだ。

この件で、以下のティップスがある。初心者によく教える。逆に拙いPC操作をしている人がそこだけは理解していて、ああこの人本質を理解しているなと感心した覚えもある。

今回のクロムのタブ上の×ボタンで説明しようか(勿論IEだって同じ)。

まず×ボタンのフォーカスを取ってください(グリフォン曰くの「押すと閉じる範囲に来る」)。ボタンは赤丸反転します(IEなら赤字化します)。続いて、クリックではなくドラッグしてみる。つまり押してすぐ離すんではなく、マウスの左ボタンを押しっばなしにする。さてどうなるか。はい、微妙に色にエンジが掛かりましたね(IEだったら、右下に沈みこむ)。これが「押下/プッシュ」の状態。では、そのドラッグした状態で、そのまま「押すと閉じる範囲」から別の位置にマウスポインタを移動してみましょう。ボタンをドラッグするつもりで。そうして押しを止める。さてどうなりますか? あらびっくり。クリックはスルーされて何も処理されません。

Windowsのボタンというのはこういう動作をするんだということを理解しておくと、誤操作が格段に減る。ダブルクリックの場合は短い間隔で2回クリックしないと、ダブルと認識してくれないので、ドラッグ常態で止めておくことは出来ないが、シングルクリックの処理(つまりボタンをクリックする処理全般)は、クリックではドラッグするつもりで操作した方が、間違いなく誤操作が減る。

上記で書いた拙いPC操作をしている人、何故かこれを分かっていて、おれの目の前で危ないボタンを押そうとして「おや?」とか言いながら、上記方法で処理を回避して、その後で「これ押さない方がいいのか?」と聞いてきた。本質を掴む人って、こういうもんだと思います。

感情的になっているのはどっちだ

ここの続き。

反論ごときものがあったんだが、まずは彼が枝葉と片付けようとしている部分から。おれにとってはこっちが本論なので。これを受けて、自分はすぐにツイッターで呟いた。

ああ、やっぱ分かってないんだーという致命的ミスをラストの方でしているので、明日の朝まで(じゃなくてもいいから)見直しておいてね。時間あげるから。クロムとIEの機能比較の部分。もう一度いじってみましょう。


もっと親切に教えてあげる。「〜(つまりIEのなし→表示に相当)」「(IEの、色の変化に相当)」、この2箇所、根本的に間違っていて、キミがやっぱり分かってない証拠になってしまった。さて「論理的」に考えてみましょうね。


さらにヒントとしてはタブ全体のフォーカスとボタン領域のフォーカスをごっちゃにしてる。このふたつは明確に別物。


さらに解説しておくと、ボタンというのは、常態/焦点/押下(無理に日本語)という3つの状態で表現される。加えて別軸に表示/非表示、有効/無効というのが、それぞれ別軸に存在する。


凄いヒントというか、そのもの答えを教えてあげているのと一緒なので、もう少し考えて自分の何が間違っていたか考えましょうね。論理的に。

すぐに反応自体はあったので、修正が入るかと思ったが、数日経っても当初のままなので、要はこのまま修正必要なしと考えるということでいいんだろう。

かりに自分が使いやすいような形にこれをするとしたら、クロームの赤丸反転が、タブの一角にならそこに触れた時にでも出るような形式だな(つまりIEのなし→表示に相当)。そして「閉じる」のが有効のところにカーソルが来たら、色がもう一段変わるなり濃くなりするような形がいい。(IEの、色の変化に相当)

さて、グリフォンの改善案と、自分のツイートを読み比べて頂いて、どうだろう。要はグリフォンはここで、クロムのタブの×ボタンに「『常態1/常態2/焦点/押下』を用意せよ」と言っているわけだ。これが如何に暴論か。

WindowsにしてもMacOSにしても、自分が書いた「常態/焦点/押下」というステータスでボタンは管理される(微妙な違いや例外はあると思うが、最近のMacOSはいじってないので知らない)。多くのアプリがそのOSの作法に準じることで、アプリの操作性は向上する。

クロムであれば、Windows版とMacOS版の双方が存在するわけで、当然のことながら、WindowsMacOS自体に操作性の違いがあれば、OSの操作性にあわせるか、クロムとしての統一性を優先するか、中々難しいところだ(が、OSの操作性に従うのが常識的だろう)。

が、グリフォンは自分が誤操作してしまって、むきーっとなった挙句、クロムのこのボタンのみはOSの作法さえ、破壊した方がいいと言う。前回書いたように、ボタンをフラットにしデザイン性を優先している(結果、確かに分かり難くなる側面は確かにあると思う)クロムに向けて。

もうここまでいくと、猫を電子レンジで乾かしてはイケナイとは取り説に書いてなっかた並の難癖である。

事実グリフォンはこの件だけでなく、少し前に、ツイッターの操作性で無茶な要望書いていたので、自分が呆れて同じことを書いたら、「猫を乾かしてはイケナイと書いていなかったと主張した奴が裁判に勝った(語句不正確)」とまで開き直った。きゃあ、おれ含め、プロダクトの作り手って益々大変だよね(苦笑)。

ただ、グリフォン、この件に関しては、自分の旗色が悪いことには、さすがに気付いているようなのは、この反論からも垣間見える。まずは上記のクロムのボタンに関しても、おれが書いたクロムのデザインや設計思想(つまり最初から×を見せていることは、あえて強く注意を喚起しているという事)は理解できたからこそ、IEと同じにしろとまでは言えなくなって、こんな屁理屈を言い出し、かつチトまずいねこりゃと思っているわけだ。だからこそ、上の方では、

で、そっちやらグーグルのえらいさんはそれを「分かりやすい」と感じ、「そうしています」でおしまいなら
こっちは「欠陥」と感じ、「IEのほうがすぐれている」で、「おしまい」。
(実際に、本来はそのツイートで「おしまい」だったわけだが)

とまで書いているわけだ。そうして、ツイッターでも意地張って強弁したのと一見整合性は保ったようにもみえる。以下は最初のツイートの直後のやりとりの最後の部分。

で、最初の「こっちが(IE)優れている」というのが明らかに間違いであることは訂正も修正しないのかな? RT @gryphonjapan: しまった、この前のごみ箱用のところをつかえばよかった。


まだ分かってない模様(悲)。 RT @gryphonjapan: 訂正どころか再度そう言明しますね。それこそ実際に使ってみての実感だ。タブの一端に矢印が触れたとき「浮かび上がる」ことが、どれだけ目立つ(注意を喚起する)か、今見なおしても実感するばかりだが。

けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。

つまり、最初は自分の大発見だと思って呟いて、おかしいと指摘されても深く考えず意地張って突っ張ってみたものの、ここにきてさすがにマズいと、完全に誤魔化しにかかっているわけだ。最初に自分の書いたことを、訂正するのが、どうしてもイヤなんだな。挙句、意地張ってどんどんドツボにハマる。こういうやり取りは過去に延々してきた。


グリフォンが本論とする方にも少し触れておく。

つまり根本は、彼が「絡むための絡み」、という不毛なことに主目的があるからこーなる。まあ、それも人生。

何をおっしゃいますか、グリフォン様。グリフォン様ほどの大物アルファブロガーになれば、絡む為にウォッチしている人間がいて当たり前じゃないですか。

おれは圧倒的に自信があることしか指摘しない。これは過去の例をいちいちほじくり返せば全部確認出来ると思う。勿論、どっちが正しい間違いの問題ではない、まさに議論な話も過去には少しした記憶もある。が、少なくともここ数ヶ月に何回かツイッターで指摘したことなど、圧倒的なまでのアホさを笑い飛ばしていることばかりの筈だ。

それは主観な話でも基本的にそうだ。比較的最近「理系バカ自慢カッコワルイ!」的にバカにしたことがある。カッコ悪いというのは、まさにおれの主観であるんだが、文系知識は散々自慢する癖して、理系やIT関連になると急にバカ自慢、知らない自慢に転じて、挙句、分かってる奴を変人扱いするのってどうなのよ。そういうのって逆ギレって言うと思うんだが。

かと言って、この話などは、自分が正しいと思うなら、面白いと思うなら、理系バカ自慢、ボタンポン星人自慢を続ければいいだけの話。……でも、悔しかったんだね(爆笑)。さすが「議論のグリフォン」! で、ツイッターに要望だしたり、クロムに文句つけたり始めたわけだ。分かりやす過ぎる。おれだってこのくらい分かっているぞと言いたいんだ。

そうして、グリフォン様は、いい加減なことを書いてしまいました。

長くなった。ここにも触れておこう。

けっきょく絡みたいという動機がまずあって、そこからあとづけでヵラマレル、という。
人間、うらみはかうもんじゃあ、ありませんな。

キミはおれに、何か恨みを買うようなことした記憶があるのかね? おれはグリフォンを恨んだ記憶など、これっぽちもないし、ましてやそんなことをキミにされた記憶もないんだが。

あるのは、キミの道義的責任や倫理観を問う気持ちだけだ。この問題に関してはこう書けば少なくともキミは理解出来る筈だ。キミはいつも自分が見えなくなり暴走する。危うい。むしろ指摘してあげてるだけ親切だとすら思っている。だからウォッチしている。そうして、おかしいことを書けば、おちょくったりバカにしたり、こうやって論理的に指摘したりする。面白おかしく、読んでいる人が楽しめるように書く。親切メモ8。

論理はいつも面倒くさくて茶化しているだけの方が楽しい

前振り丁寧に書くの面倒。この辺参照

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

今回の自分の絡みポイントは「こっち(IE)が優れてる」のみ。上記を見る限り「むきーっタブ削除しちまった、クロム使い難いー」と同義でしかなく、結果「グリフォンにとってはIEの方が使いやすい」であるなら、まあそれでいいんじゃない? で、リプもつけない。が、どうやらそうではないように読める。なので、まずは茶化してみた。またアホな事言ってーと。そうするとユニバーサルデザインだなんだと持ち出して「優れている」ことを主張しだしたので、まずはここで彼個人のみの問題ではないと、少なくとも彼は考えていることが確認出来る。

さて、少しだけ一般論。削除機能というのは、誤動作した場合のリスクが高いので、デザインする側としては気を使うところであるというのが、まず大前提。削除機能には常に確認ダイアログを出したいくらいだ。が、出せば出したで五月蝿がられることもまた確か。

続いて、クロムというアプリについて。グーグルのアプリはアップル以上に、シンプルでいわゆるクール(悪くいえばノッペリ)なデザインをする傾向がある。加えて、カスタマイズをあまり自在にさせず、その分、直感的操作という名の不親切になることが多い(ここまでを否定する人がいるかな? いるんだったら教えて欲しいな)。

ところが、このタブの×ボタンに限っては、自分の記憶だと、かなり古いバージョンから固定で入っていた筈。何でそんなことを覚えているかというと、最初に使った時に違和感を覚えたからだ。あれっグーグルらしくないなと。タブの中に入る文字数も少なくなるし、第一、デザイン的にクールじゃない。が、バージョンが上がっても、ここは変わらない。ということは、そういう設計思想なんである。この削除ボタンは常に見せるという。

今回のグリフォンの論理(?)は、普段は見えない削除ボタンが、にゅっと突然現れた方が注意喚起になるので「優れている」というもの。

どうだろねえ。自分はそう思わないし、グーグルもそう思ってない。だから、デザインも機能性(表示文字数が減る)も犠牲にして固定にしている。が、それが絶対的に正しいとは主張する気もないし、グーグルだってそうだろう。が、ウチはこっちの方が分かりやすいと思っているので、そうしていますでおしまい。

そもそもだ、危険を通知する看板が、危険に近づくと、にゅっと現れるとして、それが注意喚起力があると言えるのか? 言わないと思うなあ(主観)。始めから、ここは危険ですよと、看板立ててあげたいわ、おれは。

つまり、この程度の問題なわけだ。

勿論、上記のグーグルアプリのデザイン性と設計思想の問題など、知らんでもいいと思う。が、欠陥とまで書くならば、知っててもいいとは思いますですよ。

加えて補足。グリフォンは、何故、誤動作してしまったか。恐らく、その原因は、ぼーっとしていたんではなく、つまり、ボタンフォーカスが目立つか否かの問題ではなく、単なるクリックぶれだろう。それは最初のツイートに表現されている。もう一度。

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

だって、クロムだって赤丸反転するんだぜ、×ボタンにフォーカスくれば。つまり、この段階では、グリフォンは、IEにおいても、前面にきてないタブの右端をクリックすれば、削除される、つまり機能はクロムと同様であることを、理解出来ていない。クロムでタブを削除してしまって、むきーっとなって、IEをちょろちょろといじって、キチンとした機能比較もしないまま、このツイートを書いている。削除されてしまうのはクロムもIEも一緒。そこに気付いてないから「デザイン上の欠陥」などと書いてしまうわけである。クロムであろうとIEであろうと、クリックぶれであれば、そもそもフォーカスをどう見せるかの問題ではないんである。ああ、切ないね。

それを自分が早い段階でおちょくったので、益々認めたくなくて、お得意の論理まで止まるわけだ。切ないね(主観)。

まあ、ぼーっとしてる人だから、ホントにぼーっとしてたのかもしれない(客観)。

私に神のお恵みを

やべえ、最低ツキイチは更新するつもりでいたのに、忘れるところだった。

随分歳は取ったとはいえ、さすがにこの歳で、こんな静かな生活してていいのかなと一瞬思ってしまうほど、相変らず、静かで平安な生活を送っていて、かと言って、モノを読んだり観たりで刺激は充分あるので、精神活動が停滞しているわけではなく、そこがまた楽しい。だから、こんな生活でいいのだと、いちいち思い直す。

一方、肉体活動は最近また身体を動かすのをさぼってしまっていた為、豊満な肉体を持て余し気味になっていて、この1年ほどで10キロほど痩せたり戻ったりしているので、一説にはこういうのが一番色々ヤバいらしいが、なあに、アスリートが減量してリカバリしているのと同じだ、気にするな。

このまま人生枯れっぱなしで朽ちていくつもりでいるかと言えば、そんなこともなく、今に何かがどこかで始まるんだと確信していて、かと言って、もし何も始まらなくても、それはそれでしょうがないと思える心の準備だけはしながら、日々世界の深淵に思いをはせる日々である。

男の冷え性

ようやく寒さも峠を超えたとは言え、今日などまだまだ寒いですが、皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか。ワタクシは相変らず快適に引きこもり、人生の晩年に向けての準備に、諸々勤しんでおります。

 * * *

さほど暑がりではないんだが、酷い汗かきで、湿度は極めて苦手、夏は色々と面倒臭い。その分、冬は楽なもんである。エアコンの暖房はまず入れない。この冬はかなり寒かったと思うが、未だ一回もつけていない。足元に小さな電気ストーブを置いて一番小さく点けるのみ。長年これだけだ。多少は厚着はするものの、それだけで全然問題ない。むしろ室内が暖か過ぎるとアタマがぼーっとして回転が落ちるような気さえする。

そんなわけだから、冷え性で足先が冷えて辛いとか眠れないとか、そういう話を聞くとイマイチどころかさっぱり分からない。だから寝る時に湯たんぽ(とかそれに類するものを)持ち込むとか、電機毛布を使うとかまでいくと、理解できないところか信じられない。暑いだろ、そんなの。勿論、おれだって、足先くらい冷える時はある。だから冷えるところまでは理解出来る。けれど、何でそれで辛くなるのかが想像出来ない。だって、すぐ暖まるんだもの。

ところがだ。こんなにホットな、おれなのに、ヒトの経年劣化とは恐ろしいもので、数年前から冷え性に悩まされることになった。冷えて辛くなるのは、足先・手先ではなく、ふくらはぎ。足元にストーブがあって、スネは暖かいのに、その裏側のスネまで熱が伝わってこない感じで、一向に暖かくならない。その冷え続けてる感じが続くと、やがて冷たいという感覚ではなく、明らかな不快感に変わっていく。

これが噂の冷え性か! 人生この歳になっても新しい発見はあるものだと、むしろ感動すら覚えてしまったよ。

とは言え、かなり辛いのは確かでも、これで冷え性なんて言ったら、ホントに冷え性で苦しんでいる方々には失礼な程度の軽症であり、対策も簡単だった。スウェットを2枚履き、あるいは毛布(だと電気ストーブをすぐそばに置いているのでチリチリいきそうで怖いから大きめのタオルなど)をぐるぐる巻き。これでほぼ解決である。暖まるとまではいかなくとも、不快感・辛い感じは、ほぼなくなる。

ところがこの2案、どうも使い勝手が悪い。まずはスウェットの2枚履きは、確実でしかも近所の買い物程度なら、そのままでも行けるので悪くないんだが、如何せん、おれってホットじゃん。今度は局部が蒸れるわけよ、2枚履いちゃうと。むしろ冷えていた方がいい筈の局部が。寒い冬にも局部むれむれ。これはこれであまり快適でないんである。いや積極的に不快というか。

だったら、やっぱりタオルぐるぐるだと思い、これは冷える部分を集中的に暖めることが出来るんで、悪くなんだが、今度はコタツ状態になるというか、動けなくなっちゃうんだよねえ。トイレ行くにも外さなくちゃいけないし、その度いい感じに巻きなおすのは、実際やってみるとかなり面倒くさい。自宅作業者であるからして、ある夜のひと時ということではなく、冬場ずっーとの話だし。

そんなわけで、ここ数年現実的な方法として、裾が擦り切れたり、胴回りが伸びきってしまって、もう捨てるスウェットをモモのあたりから大胆に切断、レッグウォーマー(そのものだとやはり毛布と同様にチリチリいきそうでちょっと怖い)風に履くということで、しのいできたんだが、これにも問題はあって、とにかくやたらカッコ悪い。近所のコンビニすら行けない。インナー風にスウェットの下に履くという方法も試したみたんだが、座っている時は良くても、立ち上がるとすぐにズルズル落ちてきてしまい数分と持たない。

この冬は、精神的に余裕があったこともあり、抜本的な対策はないかと考えることにした。何とか外出時もクリアできる案はないのか。冬の映画館とか、やはりふくらはぎがキーンと冷えるんだよねえ。

まずは、オシャレなレッグウォーマー的なものを、ストーブ近過ぎチリチリ回避の為に素材考慮の上で導入と考えたんだが、どうもオシャレ過ぎてイケナイ。五十過ぎの爺さんが履いてサマになる感じがしない。だったらインナー的な何か、最近は男性用パンストが売れてるというニュースを見かけもしたのでそれ系。けれど、パンストのみならず、昔ながらの猿股・ももひき類も、当然ながら局部を覆ってしまうわけで、むれむれを回避できないんだな。冷え冷えも不快だが、同じくらいむれむれも不快なんである。

これはもう、ハイソックス的なものしかないだろう、それをズレ落ちないように工夫して。それこそガーターベルトとか(だが、これはどうも違和感がありそうで四六時中つけているのは厳しい)。そうして、遂におれは、ソックタッチに思い至ったのである。あの女子高生が使うあれだ。ハイソックス的モノを購入して、それをソックタッチで止める。これしかないだろう。

しかし、これもねえ。男性用のハイソックスってあんまりいいのがないのに加えて、やっぱさ、ソックタッチそれ自体が恥ずかしいんだよな。あれをチマチマ塗るのが、どうしても、ちょいデブ親父としてのダンディズムにそぐわない。

難しい。人生、如何に生くべきか、立ちはだかるのは困難だらけである。そうして検索に疲れ果てた(なんだよネットで探してるだけかよ)自分に、やがて福音が降り注ごうとは、この時はまだ思いもしなかったのである。

などと、アホなことダラダラ書いてないで、さっさと結論を書けば、この世界には最近「ふくらはぎサポーター」というモノがあったのだ。ユリイカ! 我発見せり! 早速複数購入してみると、まったくズレ落ちないとまではいかないものの、ほぼ大丈夫。1枚じゃまだ冷えるかも、その時は重ね履きすればいいかと思っていたが、サポーター本来の締め付け効果で血行が良くなるのか、1枚で充分、勿論、外出時もまったく違和感なし。おまけに、スポーティーな外見だから、結構カッコよく、全裸にふくらはぎサポーターだって充分いけそうだぜ(?)。

さようなら、おれの冷え性! ありがとう、ふくらはぎサポーター!

と、ここまで長々書いてきて、特にオチはないんだが、ふくらはぎは暖まっても、心はいつでも冷えっぱなしな人生で悪かったな。とか書いておくと、このブログっぽいかもな。

私は英語が依然として出来ません

新年早々、TOEICの結果報告という、どよーんとするネタなのだが、今回の結果は以前にも増して、まったく面白くない。

適度に上がっているんだよねえ(6月:490点、9月:510点)。かと言って、おれって爺さんなのにスゲエというほどでもなく。リスニング・リーディング毎の得点経緯は、6月、9月、12月で下記の通り。

       6月   9月   12月
Listening : 265 -> 245 -> 290
Reading  : 225 -> 265 -> 250
Total   : 490 -> 510 -> 540

リスニングこそ過去最高得点なものの、未だ誤差の範囲という気もするわけで、次回以降もこれ以上の点数で安定して初めて、ちゃんと成長しているということになるんだろうし、リーディングも、かろうじて前回はマグレではないものの、未だ実力アップしたというほどでもないよねえという感じで。つまり、この半年の総合50点アップ、テスト慣れしただけで上積める程度の上昇でしかなく。

それでも、普段の学習時(相変らずリスニングしかやってないが)、聴けるようになってきているのは確かなんで、次回以降、リスニングで安定して300点を超えて、その後も確実に上昇していって、ようやく勉強の成果が出ているというレベルに到達するんだと思う。次回は4月を受ける予定。まだ時間はあるし、そうでなくとも、今年もコツコツ続けるつもりなのは変わらず。

ワンピファンの為の映画

まだ公開されたばかりなので、基本ネタバレはなしで「ONEPIECE FILM Z ワンピース フィルム ゼット」の話。

尾田栄一郎が深く係わった前作(と言い切ってしまう)の「ストロングワールド」はここで書いた通りイマイチだった。が、今回はバツグンにいい。しかも上記で、映画としての完成度を上げようとするなら、ある程度、原作を陵辱するしかないんじゃないかと書いたんだが、それとはまるで逆、つまり、さらに原作に寄り添う方向でいい出来なんである。

もうテレビアニメでもそこまで行ったので、これは書いてもいいだろう。青キジは赤犬に負けて海軍から去ったわけだな。その青キジが大活躍。超シビーぜ。ツイッターでも呟いたんだが、観た後に、ああだこうだと言い争いをしてる小学生の集団に、そうじゃねえよあそこはこういう意味だよとか教えてやりたくなるというか、青キジ、カッコよかったよなあと同意を求めたくなるというか(オジさんシャイなので、実際には出来ません)、そうやって、とにかくこの映画について、何かを語りたくなるという(だから、こうやって早速書いてる)。

前作と比較して、バトルシーン、描かれている中味は大して変わったわけではないのにバツグンに面白い。原作らしさをアニメに置き直すのでなく、動いて面白いことを前提にしたアングルとカット、アクションがよく考えられている感じで。だから、バトル内容自体はシンプルなのにワクワク感がずっと持続した。オープニングのタイトルバックもやたらハイセンスでカッコいい。

勿論、原作を知らない人がこれを見て、映画単体として傑作だと思うかと言われたら、そうじゃないだろう。でも、国民的マンガ・ワンピースの映画なんだから、これでいいんだと思うわ。そりゃ突っ込もうと思えば、いくらでも突っ込める。ドッグの連中もう少しちゃんと描けよとか(あとオマケの千巻はイマイチ)。が、とにかく原作ファンとしては堪らない出来。満点をあげたいな。辛口が身上だから超珍しい。

三回目のTOEIC

昨日、三回目のTOEICを受験。また駄目でした。

いやね、申し込んでおけば、勉強する気が増すだろうという事で短い間隔で挑戦することにしたんだが、この数週間、精神活動的にやや低調な日々を送ってしまい、ほぼ試験勉強ゼロで当日を迎えることになって。しかも当日パッキャオはあるわUFCはあるわで、受けること自体をサボってしまいそうだったんだが、そこは、いやいや受けること参加することに意味があるのだと自分に言い聞かせて、何とか受けてはきた。

前半のヒアリングは前回よりはマシかなあとは思う。思うが分からない。前回の例もあるし。ただ間違いないのは、前回よりは聴けた。聞き取れた。そういう実感がある。かと言って正解率が上がっているとは限らないのが難しいところで。

試験勉強はせずに、かと言って英語の勉強自体は、時間はそんなに多くないものの、ほぼ毎日続けていて、それは全部ヒアリングであって、だからヒアリングが出来なきゃ意味ないんである。そして少しずつは進歩している気もするんだ。聞き取れ度が上がっているという。それは、相変らず流しっ放しにしているCNNを、たまに集中して見てみても、そう思うから、多分思い込みではない。

今年は6・9・12月と3回受けた。来年は一年通してバランスよく3回受けようかなと思っている。そうすると4・8・12月あたり。今年の目標であった700点に、来年中には何とかいければと、既に当初予定からは随分と後退した心積もり。最初は2年、すぐに3年に修正した計画は、5年くらいに。5年で何とか900点いってみせる。そこは未だ諦めずに、ボチボチやっていく。

あっ、結果出たら、また笑って頂きますね。

人生140文字以内

基本的に電話に出るという習慣がない。と言うと、大笑いされたり不思議がられたり呆れられたりする。そりゃ火急の用件であれば出る場合もあるし、自分からすることもあるんだが、そうこうしているうちに「あいつは電話に出ない」ということで、誰もかけてこなくなる。ありがたいことであります。

それでも、執拗に電話を繰り返して頂ける知人様などのコールには、しょうがなく出たり、極稀にこちらからかけたりすると「ああ生きてたのかよかった、いやホントに孤独死してるのかと思って」などと言われたりする。この時代、ネットというものがあるのだから、ツイッターでも覗いて頂ければ、生存確認など出来るわけだし、実際にそう言ったりする。普通に生きてるよ。

生存確認としてのブログ更新。このブログ、開始当初がそうであったように、再びそういうフェーズに突入したといっていい。勿論、このブログに自分の生存確認に来る人など、ほとんどいないことも分かっているが、一年に一人でもそういう人がいるのなら、その意味がないわけではない。

最近は、何かについて書きたいことは、チャッチャッとツイッターで呟いて終わりになってしまい、ブログで長々と文章練って書きたくなるようなことがほとんどない。というわけではなく、実は映画評などは長めな奴を書きたくなって、メモ書きをまとめ始めたりすることはよくあるんだが、それを仕上げるほどのモチベーションに欠けている状態という感じである。

例えば「アウトレイジ ビヨンド」は、いわゆる普通の面白い面白くないという表現で評価するなら、明らかに前作より面白いが、それは義理と人情秤にかけて人情に振って、つまり前作で削ぎ落とした情緒を復活させたからで、映画としての完成度は、実は遥かに前作の方が上なんじゃないかというテーゼの元に、そこそこ長い文章を書き始めてみたものの、別にそんなこと自分が書いてもなあという気持ちが、途中でムクムク湧いてきて、面倒臭くなってしまうという。

例えば「上杉隆は何故あんなに墓穴を掘り続けるのか」とか書き始めると、事実・妄想入り混じって、相当面白いことは書けるんだが、もうその断片はすべてツイッターで呟いてしまって、今更それをブログにマトメることに意味を感じないという。

例えば「スマホをギャラクシーノート2に替えて、これが久々に手に馴染んで愛着湧きまくり」なんて話も、キンドルストアのスタートやコボの話をからめて、モバイルデバイスやらタブレットやら電子書籍やらに対するそれなり定見を披露するなんてことも出来るんだが、それも一通りツイッターで呟いてしまった(画像付き)。

例えば「格闘技の業界ネタ、今だからこそ書けるあーんな事やこーんな事」なんて話も、そこそこツイートしてるが、あまりに危なくてこっちには書きたくないレベルにまで到達しております。

というわけで、人生まとめて140文字で収まってしまうという。その程度だ、おれ。

私は英語が相変らず出来ません

9月23日のTOEIC、結果出てがっくり、この有り様。


事態は深刻だ。前回は「全然出来なかった」と思って出来なかった。ところが今回は「前回より遥かに出来た」と思ってここまで出来なかった。

初めて受けた前回の結果は「私は英語がまったく出来ません」。前回比で、ヒアリングがマイナス20点、リーディングがプラス40点で、トータルでプラス20点という結果。

リーディングのプラス40点は、ここに書いた通りなので、上昇分は予想をかなり下回ったものの、こんなもんかとも思う。この歳になって、勉強していない英語読解力など、そうそう上るもんじゃない。上昇分はほぼ回答テクニックの問題だ。それでももう少し上がったとは思ったけどね。

問題はヒアリング。まずは下がったという事実。加えて、前回は出来なかったと思ってあれで、今回はリーディングほどではないがいくらかマシと思ってこれなわけだ。日常の勉強はヒアリング(とそれを補足する語彙の勉強)しかやっていないと言っていい。つまり、昨年11月の英語学習開始からの成果は、ここに現れなくてはイケナイ。それにも係わらずこの結果。

これを分析するに、答えはひとつ。仮に「実力」なんてものがあると仮定して、その実力は上がってはいなくとも、さすがに下がってはない筈なので、ところが「自信はないけど、まあこんな感じかな」と記入している回答がそれなりの量あるわけだが、このうち運よく正解になってしまっているものが、それなりの量あって、ここが今回下がってしまったということ。いずれにせよだ。少なくとも実力が上がってないことだけは事実だろう。

もうね、恥ずかしくて情けなくてやるせなくなって、いっそのこと英語の勉強なんて止めてTOEICの勉強だけやってみるかという気持ちにもなるんだが(このふたつは違うんだね)、それをやったら負けだという気もしないでもないし、少し頭を冷やして、冷静になってから今後を考えよう。とりあえず今日は飲みにいって、ひとり黄昏ることにする。

おれ、おめえらとは全然違うんだ

吉本隆明が死ぬ直前に、原発推進的な発言をしたらしいんだが、それは読んでない。読んでないんだが、らしいなあとは思った。

近所に、死後数ヶ月経った今でも小さく吉本隆明コーナーがある本屋があって、あれっこんなのあったのかと、まあ大体は90年代末以降の語り下ろし形式の本が多く、そういうのは読みやすいというのもあり、たまに買っては、ぽつぽつと読んでいた。

例えば、糸井重里が聞き手となっている「悪人正機」(新潮文庫)。

ネットで最近「同調圧力」という言葉で語られるようなもの、それはファッショそのものだと自分は思うんだが、あえてもう少し限定した言い方をするなら、正義ファシズムとも言うべきもので、吉本隆明はこの本で執拗にそのことについて語っている。勿論、十年前の本だから、ネットの現象としてではない、むしろ市民運動的なもの全般に存在する、ある種のヒステリックさを念頭においたものだろう。

 自分だけがストイックな方向に突き進んでいくぶんにはかまわないんですけど、突き詰めていけばいくほど、他人がそうじゃないことが気にくわねえってのが拡大していきましてね。そのうち、こりゃかなわねえってことになるわけですよ。

 こういうことは誰だって、かなわねえと思うものなんですね。以前も言ったように「清貧の思想」とか、そういうのはダメなんです。人間は、そういうふうには生きられない生き物なんですから。自分ばっかり正しいと思いこんでいる人たちは、まずそのことを理解しないといけません。遊んだり、お洒落をしたり、恋愛をしたりっていうことがなくなったら、人類の歴史のいいところはほとんどなくなっちゃうんですよ。(P.98-99)

(前略)人は「自分は、このようにちゃんとしたことを考えているんだ」と強く思えば思うほど、周りの他人が自分と同じように考えていなかったり、全然別のことを考えていたりすると、それが癪にさわってしょうがなくなる、ということでね……。

 でもそれはやっぱりダメなんですよ。真剣に考える自分の隣の人が、テレビのお笑いに夢中になっていたり、遊んでいたりするってことが許せなくなってくるっていのは、間違っているんです。(P.136)

これに付け加える言葉が思いつかない。まったくその通りとしか。

かと思えばこんな言葉もある。

(前略)何か、自分の思っている自己評価より高く見られるようなことだったら嫌だけど、出鱈目なこととか、低く見られることならいいんだってのがこっちの原則なんで。文句言ってるやつらとは違うんだ、俺、おめえらとは全然違うんだぞと思いますけどね。(後略、P.235)

SNS全盛でパーソナル・ブランディングだ何だと言って、自分を実際より高く大きく見せようとすることや、結果として見栄のレベルを超えてただの詐称になるケースを散見する今だからこそ、本当に沁みる言葉だ。

そうして、こういう吉本隆明の言葉に強く影響を受けている事を、また実感する。読んでもいなかった本で、おれに影響を与えるってSFみたいだぜ。



日常生活の壮健

五十になるまでに、全部自分を作り直してしまいたかったんだが、間に合いそうもないので、今年一杯、いやそんなケチなこと言わずに、この際、無期限に期間を延長してでも、しこしこ作り直しを続けることにした。つまり、これから五十代を生きるにあたっての決意表明的な。

死にたいと思ったことは、あまり多くないが、それ以上に長生きしたいと思ったこともなくて、いつ死んでもいいと思っていた。それはずっとそうだった。が、これからはそう思わない。ここまで生きてしまった以上、生きたくても生きられなかった諸先輩や知人の顔を思い出しながら、可能な限り長生きしようと思い直した。そうしてみると、根本的に今までとは違う生き方をしないとやっていけない、今までのままだと、いいとこあと十年かそこらだと気がついた。身体も頭もどんどん衰える。それも必然、しょうがないと思っていたのを、あえて抗ってみようと思うのだ。

勿論、長生きしようと思い直したと言って、明日クルマに跳ねられて死ぬかもしれない。だから、あまり神経質にはならない。健康オタクになって、健康に神経質になって、上手くいかなくて、挙句ストレスを貯めて、結果として早死にしてしまうよう生き方は、恥ずかしくてやってられない。

かと言って、今までのような投げやりな生活は改める。身の回りと身体を清潔であるように心掛け、適度な運動を行い、食生活に気を使い、常に知的好奇心を持ち頭をよく使う。簡単に言ってしまえばこれだけの話だ。

何だそんな簡単なことかという話なんだが、これが長年出来なかった。だから、どうすればそういう事が出来るようになるのか、色々考えたり具体的に実践したり、この一年以上試行錯誤して、ようやく半分くらい、否、もう七割くらい出来るようになってきた。あとは維持するだけだ。自分の身体にそういう生活のリズムを徹底的に馴染ませる。

そうやって自分を作り直して、一体何処に辿り着くのか、何処に辿り着きたいのか、勿論、そんな事は分かっていない。それでいいと思っている。