電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

総合格闘技の元ファンであった貴方に

格闘技の世界に限らず、とにかく日本はすべてが右肩下がりである。

ここ数日、格闘技で選手が食えるとか食えないとか、ごく一部で話題になっていて、自分のようなプロモーターの立場の人間にしてみれば、選手を食わせてない癖して偉そうなこと言うなという話になってしまうので、あんまりこういう話題には入って行きたくないだけでなく、もう結論としては、自分すら食えてないのに選手食わせるなんて物理的に無理としか言いようがないのであって、さらには、本質的な話として、プロモーターは選手を食わすという意識を持つべきなんだろうかという話になる。

本来、興行というのは選手の為ではなく、お金を払って見に来るファンの為に存在しているわけで、ところが、あまりにファンがいなくなって、勿論、それにはプロモーターと業界全体の怠慢もあるわけだが、それでも業界と競技自体の維持・拡大の為に大会は続かなければいけないという前提から、総合格闘技の興行は続いているのであって、その為に、手売りだ何だと本質が確実に転倒していて、つまり、そこには興行の前提である筈だったファンの存在はもう意識されていないわけだ。

というレベルにまで、もう落ち込んでいるんだということを、まずは、元ファンであった貴方に、昔は大会を生観戦することもあった貴方に、理解して頂きたい。それ位、今、格闘技のチケットは売れていない。貴方が推測する10分の1位しか売れていない。

このレベルになってしまえば、もう興行は興行である必要がないわけで、結果として、選手サイドがカネを出し、持ち寄って、大会を運営する、つまり発表会化するしかなく、そういう世界は、格闘技以外には山ほどあって、むしろそれが普通、いや常識であって、そうなった時に、発表会と名乗るより、興行・大会のカタチに見せかけておけば、そっちの方が選手もチケットを売り易い、つまり、持ち寄るカネを作りやすいということしか、大会にブランドをつけて維持する理由はない。

個人的な話を少しだけしておけば、興行が興行とは名ばかりの発表会となった時点で、自分にはその発表会の運営をやるモチベーションがあるのかといえば、業界自体を維持する必要がある、つまり、生業を格闘技関連で得ている人間ならいざ知らず、自分には、そんなものはあるわけなく、ましてや、持ち出してまで何でそんなことをやる必要があるのかという話であって、あまつさえ、破産寸前にまで追い込まれて、お前、馬鹿じゃねえのという。いや、おれってホントに馬鹿。

勿論、そういう状況になろうと、そこに戦いがあって、それを観る人がいれば、それが身内であろうと何であろうと、感動は生れ得るというか、素晴らしい風景が展開されることだってあるわけで、それは何のスポーツ、いやスポーツ以外の分野でも一緒だ。

けれど、そのレベルになって、そこに出場している選手をプロと呼ぶかなどという話は、既に意味を失っていて、別にプロであろうがアマであろうが、どうでもいいじゃんという話で、それは音楽・映画・演劇・小説、それだけではなくあらゆる世界で、とっくに当たり前であって、総合格闘技の世界だって、少なくとも、UFCで定着すれば、それなりの額が稼げることもまた事実であって、ではそれ以外の選手がプロじゃないのかといえば、どっちでもいいだろそんなの。

プロとは、自称するには、それは矜持であり、他称するには、それは尊称となる。つまり相対的な概念であって、絶対的な基準など、どこにもないのである。

自分は運営側のプロを自称しているが、滅多に他称されない。悔しく情けない話であるが、それが今の総合格闘技の世界における、おれのリアル。