電脳如是我聞の逆襲

他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ

あまちゃんのない毎日は自由な毎日

誰もボクのことを縛りはしないさって感じだぜ、ホント。

確か著名人の誰かが、少し前まではテレビを見ないことはカッコいいことだったが、今では当たり前になり過ぎて、特にカッコいいことではなくなってしまったというニュアンスのことを呟いていた。

これは確かにそうだよなあと思う。5、6年前までは「テレビは見ないからなあ」と言うことは、特に自分のような世代においては、間違いなく自慢だった筈だ。それは、テレビでやってることなんて下らないことばかり、そんなことに時間を使うのは馬鹿馬鹿しいぞというニュアンスを含んでいたわけだ。だったらと思う。それが当たり前になったのならば、別にもうテレビを見たっていいんじゃないか、下らないと思ってたけど、意外と面白いぜ。特に、あまちゃんとか。

しかしだ。そんなノリで連続ドラマをいくつも見始めてしまうと、やっぱり思い出すんである。これキリないよな、他に何もやれなくなってしまう。時間を食い過ぎる。そうだ、そうだった、アメリカもんの連続ドラマが、ドドーっと入ってきた時も同じことをやった記憶がある(「24」とかだね)。それなりに面白いものはいくらでもある。が、やがて気付くんだな。これはキリがないよと。

勿論、そんなにリキまず、もっと軽いスタンスでテレビと付き合えばいいとは思う。ただ、もう何年も主体的にではなく、時間潰し的に、だらだらとテレビを見続けてしまうことは止めようと思っていて(あくまで、おれはだよ。そういう時間の使い方だって、したい人はすればいいと思う)、実際止めていて、かと言って、何をしてるわけでもない、ぼーっとしてたり、マンガを読んでいたり、その程度のことなんだが、連続ドラマを意識的に観始めてしまうと、そういう時間すら尽く奪っていってしまう。

やっぱり映画くらいの時間が丁度いい。きっぱり2時間。主体的に使おうとすると、軽い決断が必要な長さ。余裕がある時は毎日だっていけるが、忙しい時は、いいとこ週一とかになってしまうレベル。

最近じゃ封切りから遅くとも一年後にはBSCS系でノーカットでやってくれる。ブルーレイやらのプレイヤーとテレビはとっくに一体化してるし、ネットともかなり一体化してきたし、録画機能だって主に検索・整理機能も含め充実の一途だ。益々便利になっている。流行りモノを取りあえずチェックみたいな見方も簡単に出来るし、監督やら役者やらに焦点をあてて、体系的に積み重ねて観て行くことだって可能だ。学びに近い。何より主体的だ。

ようやく、あまちゃんが終わってくれて、そういう生活に戻っていくことが出来た。やっばり、テレビなんて、だらだら見るもんじゃないんだ。

あくまで主体的に、積極的な係わり方で、学び的に、ブルーレイとかを観るんである。……あまちゃんのボックスその2とか。まだかなまだかな発売まだかな。

あまちゃんに関して極私的なマトメ

素晴らしい最終週だった。鈴鹿ひろ美のライブシーンは圧巻だったし(TVドラマでこんなに号泣したのは初めて)、はたの駅のアキ・ユイが身を乗り出すようにまだ開通していない東京に向かう線路を覗き込むところから(ここのタメが効いてて凄くいいんだ)、光に向かって走り出すラストラン、もう文句のつけようがなく。

内容について諸々テクニカルな分析をするのは楽しい。が、それ以上に自分に戸惑ってしまうのは、これほどTVドラマに日々の生活が左右されてしまうことが、五十年の人生史上初めてであったこと。ああ、東京に行っちゃうのか、なんかヤだなと思いながら始まった東京編が、あれれ、びっくり加速度つけて面白いじゃないかというあたりから、毎日「あまちゃん」を見ることを中心に、生活を組み立てるという日々になってしまっていて。

人生なんて、いつもさよならだらけなんだから、喪失感など当たり前であって、むしろああこれでやっと普通に生活に戻れるというさっぱり感こそあって、何より社会問題から目を逸らさせる為の権力の陰謀なんじゃないかとすら思うのだ。

何故このドラマが、それほど自分を引き付けたのか、色々と分析は出来るものの、まあその辺はどうでもいいや。

前回クドカン長ければ長いほどいいんじゃないかと思ったんだが、致命的にこの人、演出(映画でいえば監督)は、あまり向いてなんじゃないかというのが、現時点の私的結論。細かいこと書きたがるわけには演出は雑で。例えば「中学生丸山」でエンケンが最初に爆発するシーンがある。ここが明らかに数カット足りないんだよね。何でこれで最後が拍手喝采になってしまうのか、頭の中で補わないと足りない。恐らく、それはポカーンと眺める聴衆とか、そういう数カットであると思うのだけど。古田新太が「面白くないホンを面白くやるのは簡単だけど、面白いホンを面白くやるのは難しい」的なことを言っていて、つまりクドカン、ホンの面白さに演出力がついていってないのではないのかと。

ステラのメモリアルブックやオフィシャルやら何やらを読み漁る限り、やはりのこのドラマ、演出班を中心にスタッフの仕事が素晴らしいのよね。穴というか隙間のあるホン(結構そういうとこある)の、その隙間を埋めていく作業が素晴らしい。勿論、能年・橋本コンビの魅力に加えて、キャストが全員見事な仕事してるというのも大前提。

ドラマらしい総合芸術というか、恐らくNHKでしか有り得ない緻密で高度な集団作業の結果が、すべてがいい方向にピタっとハマった成果というか。

ツイッターで「おれは、あまちゃんにはハマってないので」というフレーズを色々変形しながら繰り返しネタにして、どう見たってハマってるとしか思えない細かい分析などを散々呟いてきたわけだが、自分の人生において、「あまちゃん」こそ、多分一番深くハマってしまったドラマであることを、ここで素直に認めて、さーて、ブルーレイ・ボックスの続きでも観ようかな。

あまちゃんとパシリムの夏

少なくとも、おれにとってはそうだった。「あまちゃん」が、いよいよ来週で終わり、そうして今年の夏が終わるんである。

まずは「パシフィック・リム」について。

もうツイッターでは自分も散々に呟いたし語りつくされてはいるんだが。ただ、どうしても引っ掛かるところがあって。例えば町山さんほどの人でもオタクにフックが強かったからヒットした的なことを言っていて、それは違うと思うのだよ。あれは、オタク心などない、もしくはとっくに失ったオヤジの、ない筈のオタク心を掘り起こして、引っ張り出して、かきむしってくれるから凄いんである。それがメイニアック(ベロニカ・リスペクト)なモノを一般化するということで。逆に言えば現オタクな人には、あの映画の本当の凄さは理解出来ないんじゃないかとすら思う。

日本のアニメや特撮リスペクトという観点ばかりから語られがちだが、例えば冒頭。KAIJUは橋を横から襲う。これはハリウッド映画の定番だよね。直ぐにイェーガーの出撃となる。剥げた塗装、初動は合掌ポーズ、そうして二人でガシーンガシーンと歩き出す。このあたりで、もう目がウルウルになってしまい、以降それがずっと続くと相成るわけだが、細部のオマージュ探しより、むしろそのセンスの研ぎ澄ませ方こそ重要であると思う。

あんまり言ってる人がいないので、ツイッターでは既に呟いたものの、ここにも記録しておくけど、むしろ「ストリート・オブ・ファイヤー」との類似点を強く感じた。あれがロックンロール・フェイブルであるなら、バシリムは、怪獣フェイブルなんだよね。定番を踏まえたセンスの研ぎ澄ませ方と、その一般化の見事さこそが重要で。冒頭の構造なんて、ホントそっくりだと思う。

さて、そうして話は「あまちゃん」へと向かう。どうもクドカンはピンと来ない(ことが多かった)。その理由を理解できた気がする。この人、本領がテレビドラマなんだね。自分は、この人のテレビドラマはほとんど観ておらず、監督作やホンを書いてる映画しか観てない。「あまちゃん」スタート時期に公開された「中学生丸山」も、細部が雑(なのは予算問題が大きいとは思うものの)、惜しさ満載だった。

クドカン、長ければ長いほどいいのではないか。本質的に大長編向きな気がするんだな。

近年の朝ドラの比較で語るなら(自分が震災以降からしか観てないので)、物語としては「あまちゃん」より「カーネーション」の方が見事だと思う。その物語性の高さ・上手さが抜けているのだ。

けれど「あまちゃん」はその登場人物たちに対する愛着の湧き具合がハンパないのよね。愛おしくなって、何度でも観たくなる度合いが凄くて。そういう意味で「カーネーション」を圧倒的に凌いでしまっている。

個々はマニアックであってもフックの強いネタで、それが様々なベクトルに大量に撒かれていて、例えば10個撒かれた餌に、2つか3つ食いつけばいいように出来ているわけだ。その為にこそある程度の長さが必要だという。そうして、登場人物は一般性を獲得し、愛おしさが増していくという構造になっている。

ロクに観てない人からすらも散々語られた(笑)、震災の描き方についても触れておく。これは正直なところイマイチであった。マンガ「さんてつ」と、さかなくんの実話に頼ったネタ(というか、事実のまんま)など、配慮というか遠慮が強過ぎ、物足りない。さすがに震災からは時間がなさ過ぎ、まだ客観的にネタ化が出来てない感じで、オリジナルなことは作り辛かったのだろう。

かと言って、ネットで散々笑われていた「原発を描いてない」とか、そういうことを言いたいのではない。

例えば太平洋戦争。映画・ドラマにとって、この戦争は既にネタでしかない。特に朝ドラ(その多くは未見だが)は延々とネタにしてきた。自分が観ているここ数年のモノでも、「おひさま」「カーネーション」「梅ちゃん先生」もネタとして使っている。そこで描かれる大戦は、反戦だなんだという政治的な主張などどうでもよくなっており(好戦的なのは避けるのは前提として)、要は不可抗力としての不幸の総体が戦争なんである。

その意味で、クドカンならば、震災をネタにして、もっと出来た筈だという。

が、まだ一週間ある。クドカンが仕掛けたオリジナルは、ユイちゃんのトンネル・ネタ。これも事実を元にしているわけだ。けれど、そこに登場人物を絡ませ、物語を紡いで物語としての出口を作っていく。事実を再生してやることではなく、物語としての出口を見せることこそが、物語作者の務めだと思う。

ユイちゃんは元気にはなったとは言え、実はまだトンネルを出ていないんだね。最終週の予告編を見る限り、期待は出来そうだ。トンネルの出口は用意されている気配がある。そうして、そこまで描いてこそ、あまちゃんの夏が、ようやく終わることを許されるんである。

私は馬鹿でマグレ狙いの豚です

月曜に結果が出ていたんだが、あまりに予想通り過ぎて、億劫になってしまい今日までズルズル。結果はこの通り。


やっぱり、初めて落ちてしまいました。過去の遷移はこんな感じ。

      1206   1209   1212   1304   1307
Listening : 265 -> 245 -> 290 -> 275 -> 240
Reading  : 225 -> 265 -> 250 -> 275 -> 300
Total   : 490 -> 510 -> 540 -> 550 -> 540

これを見ると余計ショック大きい。リスニング過去最低点じゃないか。延々、リスニングだけやってて、これかい。やっぱ、おれって馬鹿だと思うの。まるで勉強してないリーディングが圧倒的に過去最高点なのは、もうマグレでしかなく。

ただ、今回は「出来なかった」という自覚があり過ぎた為、もう心の整理が終わっていて。未来に向いているのだ。このまま終わってたまるか。

打倒、高島学(えっ目標それかいっ)。

も少しがんばれ左傾批評! −「風立ちぬ」周辺雑感−

宮崎駿の「風立ちぬ」は、その明らかに説明不足の模写や、時代背景に対して基本的な知識が要求されることなどから、世のオジさんにとっては、まさに語りがいがある作品だと思うんだが、それゆえ偉い人でも、結構おかしな事を言っていて、そこがまた面白い。

以下は自分のツイートをあえて再構成せず、時系列に。ネットで語られていることと、それに対する自分の反応がキモなので。

7月24日:新宿のバルト9で鑑賞。その直後にツイート。

風立ちぬ」。ファンタジーじゃねえか(笑)。あんな菩薩様みたいなお姉ちゃんに愛された記憶があれば、兵器製造への良心の呵責も、夢の挫折も何やかやあっても、おれなら笑って生きていけるもの。(続く #eiga
posted at 14:17:23


続き)セルフオマージュ多過ぎの序盤、尺を考えての事だとは思うが、切り過ぎて唐突になってる気がする。しかも人がゴミのようだった。避暑地の風景と合わせて堀辰雄的といえばそれまでだが。あと仕事と恋愛が分離し過ぎ。ただ、自分の中で育つ映画かもしれないとは思う。 #eiga
posted at 14:23:52


そうそう、庵野の声はドンピシャで悪くなかった。
posted at 14:32:09


帰宅後、あっちこっちのツイートを探して読んでみて。

風立ちぬ」の批評、あっちこっち読んでみてびっくり。葛藤ならモノ凄くあるではないか。その方向の批判は圧倒的に見当外れ。アズマ先生とかオタク命名者の人とか。 #eiga
posted at 15:56:48


例えば避暑に行く前の、背中と飛行機の残骸だけ見せる1秒くらいのカット。葛藤ないなら、避暑に行く意味わかんないじゃん。不思議ー。 #eiga
posted at 15:59:58


それに基本が技術者というより職人の話じゃん。政治的にも思想的にプレーン。そこをわざと強調してるんだから受け止めなきゃ意味がないと思うんだわー。紅の豚直系のファンタジー。紅の豚ほど面白くないけど。 #eiga
posted at 16:03:41


いいとこのぼんぼんの技術者がメゲて軽井沢いくから堀辰雄なんじゃないのか。 #eiga
posted at 16:06:41


あれさ、主人公が原発のエンジニアだったら、と考えると分かりやすいんじゃないかな。翼賛も罵倒もせず、意地になってプレーンというかフラットなところで踏ん張ったのは、さすがだと思ったけどな。 #eiga
posted at 16:20:51


紅の豚の直系と書いたけど、細かく言えば、今回の主人公は豚さんではなくフィオの直系でさ。飛行機を原発に置き換えると分かりやすいってのは、そのままアニメに置き換えてもよくて。つまり自伝的なんだね。宮崎駿のこういう作品至上主義は好き。人より作品の方が重要なんだな。
posted at 16:41:01


つまり「風立ちぬ」は作り手の為の作品で、批評家の為の作品じゃないんだね。……と、あんまり面白くなかったし大して泣けなかったんだか、猛烈に擁護したくなってしまった。 #eiga
posted at 16:45:25


村上春樹がコミットメントとか言い出してる今に、七十過ぎてディタッチメントしてみせるのってカッコいいと思うんだよな。思想とか政治とか、こまけーことはどーでもいいんだ的に。……まっパンピーがそれやっても駄目なんだけどね。 #eiga
posted at 16:54:09


というわけで、ポニョは問題作だけど失敗作、風立ちはエレガントだけどあんまり面白くない、というあたりが当日のおれ評価。
posted at 17:11:08


7月25日:高橋源一郎が、どっかの新聞で、ゲンロンのチェルノブイリ本と並ぶべて褒めてるらしいのを見かけて。

源ちゃんが「風立ちぬ」に対して、自分と同じ見方をしてる(ようだ)。さすが。って影響受けてるのはこっちだが。
posted at 12:27:15


あと昨日は触れなかったけど、イタリア的なおおらかさとドイツ的な合理性の対比、結果生まれてくる日本的な美というところは、結構面白く分析できるような気がするわ。クレソン親父をだしたのは、ドイツを少しディスり過ぎてるからバランス取った感じか。
posted at 12:29:38


豚さんは国家や軍に背を向けてかっ飛んでみせるからカッコいいけど豚なんだね。堀越二郎は会社や軍の垢にまみれて、それでも技術者であることをまっとうしようとするから、全然カッコよくはみえないけど、だからこそ人間なんだね。
posted at 12:51:55


てか、やっぱこんだけ考えさせてくれるから、いい映画なんじゃなね? >風立ちぬ
posted at 12:53:26


7月26日:小飼弾がおかしなこと書いてるのを見かけて。

またトンチンカンなことを(苦笑)。本歌取りは元ネタ陵辱した方が傑作が生まれやすいのは常識に近い。そこに正当性も根拠も必要ない。/404 Blog Not Found:原作陵辱 - 品評 - 風立ちぬ http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51880843.html
posted at 10:03:44


ダンコーガイ、昔筒井ファンであるようなこと書いてた記憶があんだが、まるで筒井に難癖つけた百目鬼恭三郎みたい。
posted at 10:11:51


そもそも、堀辰雄がいわゆる左傾批評から延々馬鹿にされてきたプチブル文学(?)であるということが分かってないから、ああいうトンチンカンなことを書いちゃうんだよな。
posted at 10:25:01


7月28日:これは特定のどこというわけではないが、明らかにやっと「堀越二郎=駿」に焦点が合い始めたんだが、しかし……というあたり。

風立ちぬ」評、少し流れが変わってきて、堀越二郎=駿に焦点が合い始めたのはいいんだが、「芸の為なら女房も泣かす」的な解釈もチト違うと思うぞ。時代を考えないと。「麻雀放浪記」のドサ健の名科白「死んだお袋とこいつ(奥さん)にはいくら迷惑かけてもいい」とかさ。(続く #eiga
posted at 23:43:29


続き)何と言っても、彼女のお父さんの科白と、片手計算尺世界一の科白を無視しちゃダメだろ。世界一になるには毎晩あれってことだぜ。そりゃ作品至上主義ではあるんだけど、充分優しく描かれてるじゃないか。少なくとも、ドサ健や春団治よりはるかに。 #eiga
posted at 23:44:10


8月2日:バルス祭りの途中で。

あれさ「風立ちぬ」が「絵がきれいだった」って感想はよく見るんだけど、ナウシカラピュタだけ、抜けてきれいだと思うんだよなあ。画質とか描きこみの問題じゃなくてさ。 #eiga
posted at 21:23:46


8月3日:竹熊先生があれれ? ということをツイートしてたので。

タケクマ先生に教えてさしあげたくなるが、どうせ誰かがリプしてるだろうから思いとどまる。堀辰雄は士族の出。だからこそのプチブル文学で。二郎の方がどうだったかは知らないが、映画内でも実家に女中がいた。要は最初から金持ちの話なんだよ。
posted at 22:56:26


あれは庶民の話ではなく金持ちの話であるということに気付かなかったら、半分くらい分かってないことになるような気がするんだが。金持ちで才能あって美人ちゃんに惚れられる、とことん恵まれた奴の話なんだよね。
posted at 22:58:20


風立ちぬ」においては、堀辰雄がどういう小説を書いていたのかよりむしろ、堀辰雄がどう評価されてきたのかの方が重要だと思うんだよね。ところがサブカル系(?)の人たちはそこにまったく気付けていないというか。
posted at 23:21:56


というわけで、「風立ちぬ」はむしろ旧来の左傾批評的(?)な方法論の方が扱いやすい筈なんだが(何ていったって堀辰雄なわけだし)、どうもそっち系の人は、あんまりネットですぐに意見という感じでもなく、ネットと親和性の高いサブカル系の人たちは、根本的なところが分かってない感じがして、こうして自分のツイートをマトメておく次第。


追記:実は堀辰雄、ロクロク読んでないんだが、どう評価されてきたかには詳しいんである。理由はシンプルで高校のパイセンだから。あれだ、堀辰雄は、柿沢こうじとかミラーマン植草とか(ともにパイセン)と同じなんだ。結構気になっちゃうの。

5回目のTOEIC

さっぱり出来ませんでした。今までわずからながらも4回とも点上げてきたけど、今回は多分下がる気が。あーあ情けない。以上。


で終わるのもさすがに寂しいので、もう少し。

前回出来たつもりが結果はまったくダメで、かなりモチベーションが後退した。その後、イマイチ気合を入れ直せず、勉強量少ないまま、ずるずる試験当日を迎えてしまった感じ。

ところが不思議なもんで、今回があまりに出来なかったら、試験翌日からモチベーションを取り戻しつつある。まがりなりともこれだけ時間かけて1年半以上英語に取り組んでて、このまま終わっていいのか。それじゃ、まったく時間の無駄じゃないかという気持ちが強くなり。

勉強方法は間違っているとは思わない。あくまでヒアリング中心で。見直しも少しずつは掛けている。が、もうアタマ固くて今の勉強時間じゃ、伸びる速度が遅いというのが仮の結論。なので、何とかもう少し時間を増やす努力をする。当社比150%くらいに。そのくらいなら何とか可能な筈で。

まあ、言うは易しというのは分かってる。だからこそ、まずは書いてみた。書いてみてもダメな場合もよくあることだが。書かないよりはいくらかマシであって。マシであって欲しい。お願いします、英語の神様。いねえよ、そんな奴。

日常生活の発見

相変わらず、静かで穏やかな生活を日々送っているわけだが、この歳になって発見することが多くてまったく飽きない。

例えば、このところ35年ぶりくらいに朝食に食パンをトーストして食べるという習慣が出来た。35年前はまだ子供であり、放っておいても食卓に出てくるのがトーストであっただけで、つまりは自分が望んで食パンをトーストして食べるようになったのは初めてということになる。

トーストした食パンに、たっぷりバターをつけて食べるのは大好きなのだ。が、何故そこそこ長くなった人生において選択して来なかったかと言えば、いくつかの明確な理由があり。

まずは、トースターを揃えるのがどうもという感覚。もうこの歳になってモノはあまり増やしたくないから新規に買うのもなと。電子レンジがオーブントースターも兼ねてる奴な為、それで焼けなくはないんだが、時間が掛かるのと、コゲがきれいに入らないんだよね。

加えて、食パンの保存問題。最近では半斤でも売っているのは知っていたが、それにしたって6枚切りなら半斤で3枚、ラストの3枚目は賞味期限ギリギリになったりする。賞味期限ギリギリ、あるいは過ぎた食材は結構苦手。なるべく早く食べてしまいたいタイプなのだ。

一番大きいのがバター。いっぱい塗りたいのだ。が、そうすると高カロリー。しかも冷蔵庫で保存してるバターって固くって塗り難い。塗り易い奴はやたら高かったりする。過去に極々まれにトーストを食すこともあって、そういう時は、使う分だけ軽く湯煎して柔らかくしてから使うなんてことも試したことはあるんだが結構面倒。低カロリーで柔らかいのが当たり前のマーガリンは小学校の給食の頃から何故か苦手。好き嫌いがほぼない自分にしては珍しく、食べられないほどではないものの、マーガリンを塗るくらいなら、トーストなんて食へたくない。

こうして、それぞれは大した問題でないし対応策はあるんだろうが、それ以上深く考えるのも面倒くさく、結局、トーストした食パンが一人暮らしの自分の食卓に日常的に上ることはなかった。

では、何故これら幾多の問題を解決して、朝食は食パンをトーストとまでなったか。結論から言えば、3つ目のバター問題を解決したというか、オリーブオイルに小皿にとって、塩をパラリ(この塩がポイント)、これに千切ったパンをつけて食べたらバター並みかそれ以上に美味しくて、これは日常的に食べたいという気になったからだ。そうして他の問題をも積極的に解決しようという気になった。

トースター問題は、フライパンで、それ用クッキングホイルでくるんで焼く。掛かる時間はむしろ短いくらいで、焼き目も慣れてくれば自在。ふたつ目の保存問題は、冷凍することで解決。しかも、たまに違うものを食べたくなっても賞味期間を気にしないで済む。モバイル機器の風呂持込み用にジップロック(のビニール袋タイプの奴)は常備されている家なので、試すのも簡単だった。解凍などせずそのまま焼く。ちゃんと中身はフカフカになって、味の劣化も感じない。これを塩パラリのオリーブオイルで食す。いやあ、美味い、美味いぞ。

本気で考えさえすれば、すぐにも解決する問題だったのだ。が、日々の生活に追われ、そこまでの問題でもないような気がするから、ハナから何も考えない。ところが、ちゃんと考えて試行錯誤してみると、意外と簡単にブレイクスルーがある。そうして得た発見は、日常生活をより快適に豊かにしてくれる。ああ、生きるって楽しい。

なんてこと書いてていいのかしらね。というか、こんなことに頭使ってる暇あるなら、もっとやることあるだろという疑問は多少感じなくもないものの。

私は英語がきっぱり苦手です

はあ。

今回は発表を指折り数えて楽しみにしていたくらいなのに、蓋を開けてみれば、やっぱこうだったわ。


以下は今回あわせて過去4回の得点推移。

      1206   1209   1212   1304
Listening : 265 -> 245 -> 290 -> 275
Reading  : 225 -> 265 -> 250 -> 275
Total   : 490 -> 510 -> 540 -> 550

終わって自信満々だったリスニングに至っては下がってるし。

英語を最低でも1時間やることが完全に日々の習慣になっていてこれだから。ひょっとして、勉強方法根本的に間違ってるんじゃね? てか方法は悪くなくとも年寄りで頭固くなってていくらやっても無駄なんじゃね? てかてか、おれシンプルに馬鹿なんじゃね?

……はあ(連発)。

自意識的には随分と成長しているつもりなんだがなあ。益々長い道のりになりそうな気配。それでも、次は7月を受ける。今年一発目は4月だったが、やっぱ3・7・11と3回受けるのがパランスいいかなと考え中。

と、もう来年のことを考えているのである。今年は捨てた(ええーっ)。鬼よ笑いたければ笑え。ひとつ人世の生血を啜り、ふたつ不埒な悪行三昧、みっつ醜い浮世の鬼がおれだ。何やら意識が混濁しているようであります。

夜明け前に逃走予定のグリフォン

ええーっ十回書けば議論って終りなのー!? けどこれ続くな。一生続くな。あの世でも続くな。生まれ変わっても続くな。地球が暗黒物質に飲み込まれても続くな。そうして再びビッグバンが起きても続くな。

というわけで、前回のおれのはここ、それに対するグリフォン様のはここ

今回、ついに10回目。10回も続けるぐらいだから不毛な人との不毛な議論、と
最初から宣言していたこれも楽しんだところがないとは言わない(笑)だが、これも以前すこし書いたようにさすがに二桁に載せれば十分だろう。内容や展開次第ではあるが、いちおう区切りの回、集大成としたい。

でね、この辺りはまだ枕というか、前フリなので、反論なさるにしても後回しにして欲しいと書いてから、少し触れておくが、どうもこの量的自慢、さっぱり分からないんだわ(それと、まさにどうでもいいことなんだが、上記引用、折り返し句読点ママだ。冒頭なんだし、老婆心ながら、もう少し見直した方がいいんじゃないでしょうか)。

グリフォン様は、時たま、おれのような常人の理解が及ばぬご自慢のなさり方をする。例えば随分と昔のここにあるこれ(おれがそれを指摘したコメントも付いている)。

私は格闘技ブロガーの中でもっとも早く、このキンドルについて書いた。

グリフォン様にとって、こうやって人様より先に何かに言及することが、それだけで価値を持つらしいことは昔から何となく理解していた。確かに、時間的先行に価値をおくこと自体は理解出来なくはない。あれだね、トップ屋魂みたいな奴だね。

かと言って、時間的先行「だけ」では、自慢出来ることではないというのが常識に近いと思うんだが、常人である、おれの常識は、アルファブロガーグリフォン様の非常識なんだろう、ましてや、今回は量自慢だ。これが何故自慢になるのか、さっぱり理解出来ない。

グリフォン様は昔から、こういう傍目には自己完結してるようにしか見えず、「論」になどなっていないが、本人だけは「論」だと思っている(らしい)展開をよくする。他人からすれば、変なのとしか思わない筈なんだが、それを指摘すると、どうも何を指摘されているのかすら理解出来ないようだ(あるいは、しらばっくれているだけなのかもしれない)。ずっと昔から、そういう人なんだとしか言いようがない。

上記引用部分について、もう少し。もし今回の議論を本当に「不毛な人との不毛な議論」と言うなら、これは年長者からの真摯なアドバイスとして読んで頂きたいんだが、そういう時こそ、もう少し本気でやった方がいいのではないかと思う。さすがにナメ過ぎ。

もし「ええーっグリフォン様って、その正体は○○社の××さんなんですって!」となった場合、こんな文章群が発見されて大丈夫なんだろうか。地位や立場や、ひょっとして職まで失ったりしないもんなのかな。散々罵詈雑言を自分向けに書かれている立場ながら、ガチで心配になってしまう。勿論、本気にやってこの程度ということなら、それもしょうがないねという話なんだが、いくらなんでもそりゃないだろというぐらいに酷い。

では具体的に。

 * * *

前回、自分はこう質問を投げた。

上記長々と引用した、おれの「だらだらと書いた」文章において、


イ)ここで、おれは『「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。


ロ)さらに、おれは『「グリフォンを含め他の人にも正しいものだ」という説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。


ハ)上記において、おれが書いたつもりなのは、グリフォン様の「欠陥指摘」が如何に拙いものであるかなんだが、これについてはどうか。そんなことは書いてないと言われても、おれはそのつもりで、そうでないと言うなら誤読なので、以降そのつもりで対応してくれないか。ここに関しては誤読の可否については問わないから。「だらだらと書いて」申し訳ないと思うしね。けれど、どれも外せない話ばかりだったの。


ニ)加えて、上記文章への返答のここで、グリフォン様は上記の自分の説明を受けいれたとしか思えない新案を披露しているのだが、そうではないのか(受け入れたわけではないのか?)。受け入れたわけではないなら、何故、常に削除ボタンを表示しているのが前提となる案など考えたのか?

これに対するグリフォン様の回答はこう。

イ・ロ・ハ・ニについて。
・イ
書いた”つもり”はない んだろうな。
ところが結果的には惜しむべし、「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明にしか、なってない。
下に一応引用するが、このへんは表現的にごくあからさまな部分というだけで、
むしろ断定的表現の部分も「そりゃ主観だろが」「お前の中でそうだとして、他の人はそー感じるとは限らん話だな」と突っ込みまくるいう性質のものだったりする(※それはダメという話でなく、使い勝手を論じる性質上むしろ自然だし、そうであっていい、というのが当方の一貫した主張だが)
 ↓
「どうだろねえ。自分はそう思わない」
「それが絶対的に正しいとは主張する気もない」
「言わないと思うなあ(主観)。」
「ここは危険ですよと、看板立ててあげたいわ、おれは。」


・ロ  
>(1)けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。
>(2)少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。
>欠陥とまで書く
>で、最初の「こっちが(IE)優れている」というのが明らかに間違いであることは訂正も修正しないのかな?


・ハ
イに同じ。


・二
「説明を受けいれたとしか思えない新案を披露」というのはこれのこと???(後略)

まず、お話にならないロ)に対する回答を片付けてしまうおうか。ここで引いている4行、わざわざ『上記長々と引用した、おれの「だらだらと書いた」文章において』と断っているにも関わらず、他の場所の文章なわけだ。これを4行引用して何の意味があるんだろう。少なくとも、まったく回答になっていない。ひょっとして、グリフォン様、質問されると、突発的に日本語が理解出来なくなったりするのかな。

続いて、ニ)とハ)。おれの質問の構造を抽象すればこういうものだ。

イ)Aと書いたつもりはないが、どうか。


ロ)Bと書いたつもりもないが、どうか。


ハ)Cと書いたつもりだが、どうか。

おれのイ)とハ)に対する回答が同じになるということがあり得ない。何故ハ)への回答が「イに同じ」で済むと思えるのか、心底不思議。

好意的に解釈するなら、グリフォン様は、どうやら、おれの「Aと書いたつもりはない、Cと書いたんだ」に対して、おれが主観であることを表明している部分を引用して、故にこの文章は主観的である、故に「Aと書いている、Cとは書いてない」と言いたいらしいのだ。

屁理屈にもなっていない。論理が飛躍するんではなく、そもそも大好きな筈の「論」がどこにもないんである。いくらなんでも雑過ぎないか?

しかもだ、こっちは丁重にもしAとかBとか読めたのなら、それは誤読なんだが、こちらが「だらだらと書いた」せいなんだろう、おれはCと言いたいんだという部分に対しては、一切スルー。

もうはっきり言うがね。



逃げてるのはお前だよ、グリフォン

こんなこと書き続けて、10回続きました自慢ってどうなのよ。


4つ目のニ)に対する回答、加えておれが細部とする部分への反論も突っ込みどころ満載、いくらでもその酷さを検証することは出来るが、今回はやらずに(続くなら次回以降にやってもいい)、違うことを書く。

 * * *

今回のやり取りで、初めて「説教」という言葉を使ってみようか。そして、この説教、既にグリフォン様とは何のしがらみもない、イチ年長者が言っているということだけは理解した上で読んで頂けるとうれしい。

もう少し謙虚になってみたらどうか。大好きな「論」にも「議論」にも。この謙虚は「誠実」という言葉で置き換えてもいい。

グリフォン様にとっては「論」は、倫理、特に職業倫理を超越したところに存在する絶対的な価値観なのかもしれないが、少なくとも当たり前の世間は、そうはみない。そんなこと、普通に生きていれば当たり前だと思うんだが、どうやら、そこがまったく理解出来てないようで心配だ。SNS全盛の時代となり、おれの心配が悪い方向で現実化する可能性は高まっている。

繰り返すが、おれには既に何のしがらみもないので、心配するなどと言っても、こうやってネットで駄文書き連ねるだけであって、それで何がどうなるものでもない。ないのだけれど、おれは、心配のあまり心配する内容を現実化すべく、晒しあげてトドメを刺しに行きかねない人間であることだけは、記憶にとどめておいて欲しいと思う。

嫌いなんだよ、自分の立場を棚に上げて、ばっくれる奴がよ。

うしみつくんグリフォン

さすがに酷い。誤魔化し・揚げ足取り・言い訳・逐語反論しかなくなってしまった。あまりに酷過ぎて、こっちが呆れて止めるのを待っているとしか思えない。

けど続くな。一生続くな。あの世でも続くな。生まれ変わっても続くな。地球が暗黒物質に飲み込まれても続くな。前回のおれのはここグリフォン様の反論ごときものはここ

さて、今回はようやく本論に戻る気配が出てきたので、そこから。細部は後回し。

しかしまあ、貴方の「本論」はいったいどこにあるんだ(笑)、語っていくと「それは本論じゃない」ばっかりだな(笑)。

何回も何回も微妙に表現をかえながら、「本論」はここだと書き続けている。今回も端的に書いておく。最初のツイッターにおける指摘から、それは何も変わっていない(当たり前だ)。


1)グリフォン様のツイッターに関する要望、クロムに対する欠陥指摘は、致命的に拙い。
2)その内容の検証はせずに、要望や欠陥指摘をすること自体の正当性のみ繰り返すのは痛々しい。


自分は初回のここで、こう書いた。

さて、少しだけ一般論。削除機能というのは、誤動作した場合のリスクが高いので、デザインする側としては気を使うところであるというのが、まず大前提。削除機能には常に確認ダイアログを出したいくらいだ。が、出せば出したで五月蝿がられることもまた確か。


続いて、クロムというアプリについて。グーグルのアプリはアップル以上に、シンプルでいわゆるクール(悪くいえばノッペリ)なデザインをする傾向がある。加えて、カスタマイズをあまり自在にさせず、その分、直感的操作という名の不親切になることが多い(ここまでを否定する人がいるかな? いるんだったら教えて欲しいな)。


ところが、このタブの×ボタンに限っては、自分の記憶だと、かなり古いバージョンから固定で入っていた筈。何でそんなことを覚えているかというと、最初に使った時に違和感を覚えたからだ。あれっグーグルらしくないなと。タブの中に入る文字数も少なくなるし、第一、デザイン的にクールじゃない。が、バージョンが上がっても、ここは変わらない。ということは、そういう設計思想なんである。この削除ボタンは常に見せるという。


今回のグリフォンの論理(?)は、普段は見えない削除ボタンが、にゅっと突然現れた方が注意喚起になるので「優れている」というもの。


どうだろねえ。自分はそう思わないし、グーグルもそう思ってない。だから、デザインも機能性(表示文字数が減る)も犠牲にして固定にしている。が、それが絶対的に正しいとは主張する気もないし、グーグルだってそうだろう。が、ウチはこっちの方が分かりやすいと思っているので、そうしていますでおしまい。


そもそもだ、危険を通知する看板が、危険に近づくと、にゅっと現れるとして、それが注意喚起力があると言えるのか? 言わないと思うなあ(主観)。始めから、ここは危険ですよと、看板立ててあげたいわ、おれは。


つまり、この程度の問題なわけだ。


勿論、上記のグーグルアプリのデザイン性と設計思想の問題など、知らんでもいいと思う。が、欠陥とまで書くならば、知っててもいいとは思いますですよ。

グーグルは、こういう意図をもってクロムの機能とデザインを設計しているとことを、常識に照らし合わせて説明した。

今回、グリフォン様はこんなことを書いた。

悪いけど、「曲がりなりにもシステム屋」さんのだらだらと書いた文章は・・・・そっちの例のネタ<主観(笑)>では「丁寧」なのかもしれないんだけど、分量やディテールにいくら凝ろうが本質的にそれ、それらの機能やデザインが「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明(それは十分伝わっとる)にはなっていても「グリフォンを含め他の人にも正しいものだ」という説明にはじぇーんじぇーん、なってないんだわ。

上記長々と引用した、おれの「だらだらと書いた」文章において、

イ)ここで、おれは『「自分にとっては心地よい、正しいもの」だという説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。

ロ)さらに、おれは『「グリフォンを含め他の人にも正しいものだ」という説明』など書いたつもりは、まったくないんだが、どうか。書いているというのなら、具体的に指摘されたし。

ハ)上記において、おれが書いたつもりなのは、グリフォン様の「欠陥指摘」が如何に拙いものであるかなんだが、これについてはどうか。そんなことは書いてないと言われても、おれはそのつもりで、そうでないと言うなら誤読なので、以降そのつもりで対応してくれないか。ここに関しては誤読の可否については問わないから。「だらだらと書いて」申し訳ないと思うしね。けれど、どれも外せない話ばかりだったの。

ニ)加えて、上記文章への返答のここで、グリフォン様は上記の自分の説明を受けいれたとしか思えない新案を披露しているのだが、そうではないのか(受け入れたわけではないのか?)。受け入れたわけではないなら、何故、常に削除ボタンを表示しているのが前提となる案など考えたのか?


ここから先もまだまだ突っ込みどころはあるんだが、いきなり、山ほど疑問をぶつけても、お忙しいでしょうから、今回はこのくらいにしておきますね。

が、さすがに、もう何も具体的に答えず、

「ああ、<メモ8氏にとっては>、ああいうデザインが使いやすいのか、こういう機能は<メモ8氏には>余計だと感じられるのか」という話を、ふつうに楽しく読みました。

なんて、要約になってない要約をするのは勘弁して欲しいという要望は、付け加えておく。


さらにひとつ。が、これには別に答えたくなければ答えなくてもいい。答えなくてもいいが、何故「勘弁して欲しい」などと要望を書いたのかの背景であるので、そのつもり読んで欲しい。グリフォン様は、こんなことを書いている。

そう、デザインや機能の要望は、A案もありゃあB案もある。そしてA案はB案と相互に排する関係にあることもある(あったりまえだ)。
じゃあどうする?
むつかしいね。
むつかしいね。


答えは・・・・・・・・・・みんながとりあえず自由に、、思うままに、”自分の”要望、願望、合理性に沿って、声を上げるのが一番なんだよ。

みんながとりあえず自由に思うままに自分の要望願望を言う。そこまではいい。

さて、疑問はここから。では、その後は、誰が何をどうすべきなんだろう。要望を自由に言った者は、その後は何もしなくていいのだろうか。少なくとも、自分が要望の声をあげることの正当性を長々と書いている余裕があるならば、他にも出来ることがあると思うのだが。

例えば、自分の要望を、もう少し冷静に「論」として検証してみるとか。議論大好きグリフォン様なんだしさ。疑問というより、提案といえるかもしれないね。

 * * *

さて、細部。

どーでもいいことばかり。とは言え、グリフォン様ってやっぱこういう書き方するんだーということを、ほどよく証明してくださっている。

うん、やっぱりそちらの文章、「論理の飛躍」がみごとにあったよね。
そして当方、それを指摘した。冗談の可能性も一応留保して。
われながらたいしたもんだね。

もうさ、こういう揚げ足取りにもなってないことやめない? 高名なブロガー・グリフォン様のお名前に、どんどん傷がついていくだけだと思うんだが。

そこで”例証”とやらに入ると、なぜそれで否定でき、「壮絶なブーメラン」だと論証できるのかね?
自分で論理の飛躍があることを認めた文章がそのもとにあるというのに。

ねえ、ホントにこれで反論できたぞとか思って書いてる? それともギャグ?

とそっちが書いてたからだよ(笑)
てかさあ、そもそも、数々の指摘をしても相手にスルーされているのはこっちのほうだよな。

あのね。おれが書いたらそうだってのなら、おれがどうでもいいって言ったら、どうでもいいんじゃないのか? 即効でそこはどうでもいいって言ってあげたろ。何故それは無視する。不思議。……いや分かるよ。突っ込みやすいからだよな。お前、こー書いたろーと、きーきー言いたいんだよな。それしか理由ないよな。

……まあいいです。この件は酷過ぎて、ごめんなさいが言えないグリフォン様の、チャーミングな開き直りとして受け取っておきます。


続いて「一部引用削除して歪曲」の件。この件もいい加減、諦めたら?

もう1回整理するよ。自分がまずこう書いた。

ツイッターは、うーたらで、こーたらで、あーたらだ。つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ。

これを読んだグリフォン様はこう書いた。

ツイッターは、うーたらで、こーたらで、あーたらだ。

ツイッターは、うーたらというがあれやこれや。こーたらというがあれやこれや。あーたらというがあれやこれや。つまり自分が要望するのは正しい。

まず前提として、おれの書いたことへの反論になってません。違うことについて書いてます。何故そんなことをしているのかと言えば、誤読してるか、意図的に歪曲したとしか思えないんですが、いかがですか?

そして、それをおれが指摘したら、誤魔化そうとして、さらにおかしなこと言い出して、にっちもさっちもいかなくなっているとしか思えないんですが、どうですか?

いいかな? グリフォン様が誤魔化そうと書き続けたことはこう。「自分はお前の言ったことより、もっと広い範囲(この言葉はなんでもいい)のことを言っているので、結局お前の書いたことの反論になっているんだ。だから、誤読も歪曲もしていないし、あえて一部分削除したのもおかしくない」(この要約が違うというなら、さらに解説されたし)。

そんな屁理屈を後から言い出して、最初に上記のように書いてしまったことが肯定出来ると本気で思っているのかね? しかも、この屁理屈がまた拙い。結局肝心の、おれが書いた「アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ」に対する反論は含みようがなくなって、捻り出した屁理屈は、

ほかの人たちが私個人に「アプリ使用を薦める」話とは、DMチェックという別手段で済んだそれは自分個人の利便性や選択の話で、別に語るまでも無くその時点でそのテーマは消滅。

ですと。もう一度書くよ。勝手に消滅すな(笑)。時系列をごっちゃにして、そんなこと書いても、その時点における「アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つ」という話に何ら関係はない。と、こっちが指摘したら、今度はどうだ。

「せっかく薦めた人たち」とかセンチメンタルな話を入れたり、「痛さを笑っている」という美学的なオハナシに持っていってるけど、それって結局別物だったってことじゃん(笑)実は”本題”であったはずのところが「引用でアプリ云々の部分を省略したこと自体は、その論理だったら歪曲だ、アンフェアだとは言えなくなった。だから美学的な”痛い”とかの話に切り替える」ということですかな(笑)。

別物なら、「一部引用削除して歪曲」の件で延々お書きになった、グリフォン様の理屈、全部自分でワヤにしちゃったということだと思いますが、いかがでしょうか?

反論のつもりの意味論ですら、こうなのだ。しかも、この細部2点、おれは、どっちも手続き論について言っている。何回もそう書いている。

にも関わらず、何故それを無視するのか。不思議。……いや不思議じゃないか、手続き論であること認めたら、グリフォン様の書いてることが反論のフリすら出来ないものな。だから、こちらが手続き論だと言っても、執拗に反論になってない意味論を繰り返す。

グリフォン様、相当控え目に見積もっても、必死に誤魔化そうとしております、としか表現しようがないんだが。

 * * *

さて「逃げた」「論がない」「議論ならつきあう」と、おれを挑発なさったグリフォン様は、「論」「議論」について、こう言った。

感情的な罵詈雑言のみの文を控えるように、というのが一番メインの意味です。

実際のところは、グリフォン様にとっての「議論」とは、今回の長いやり取り、特に上記細部が特徴的であるように、わずかな自分の瑕疵も認められず、とにかく反論ごときものを書き続ければいいと考えているふしが、随所に見受けられる。繰り返すが、グリフォン様にとっての「議論」とはそういうものなんだろう。別にそれが悪いとは言わない。なるほどねという話だ。

「感情的な罵詈雑言」やらについても、少し触れておこうか。おれはツイッターを含め「感情的な罵詈雑言」など、もう十何年も書いた記憶がない。そもそもが、ネットで感情的になったことは、そろそろ二十年になるネット歴のごく初期、まだPC通信時代に数回あった程度で、少なくともインターネットの時代になってからは、一度もないと断言していいかと思う。ましてや、論なら常にある。グリフォン様にある程度の論ならば。

ちょっと「感情的な罵詈雑言」から「感情的な」を外して、今回のやり取りを、最初から読み返してみる。そうしてみると、この双方のブログでのやり取りで、「罵詈雑言」を繰り返しているのは、明らかにグリフォン様であるとしか思えないんだが。具体的な箇所を挙げると、これ幸いと細部に暴走するので、やらないけどね。

この自分の思いが客観的なものであるかどうかは、わずかな読者の判断に任せるしかないが、してみるに、グリフォン様の言う「感情的な罵詈雑言」というのは、「グリフォン様が感情的になってしまう罵詈雑言」でしかないというのを裏付けていくやり取りになっているのが面白い。

「せっかく薦めた人たち」とかセンチメンタルな話を入れたり、「痛さを笑っている」という美学的なオハナシに持っていってる

センチメンタル、美学的。まあグリフォン様にとっては、そういう感覚なんだろう。

つまり、グリフォン様のことを思う友人様が、グリフォン様のことを思って言うことは、センチメンタルだったり美学的な話で、そんなことはどうでもいい。グリフォン様にとっては、自分の「論」だけが大切。そういうことなんだろう。

この結論に、論理の飛躍はあるやなしや。

落日のグリフォン

これ続くな。一生続くな。あの世でも続くな。きっと生まれ変わっても続くな。というわけで、前回のおれのはここ。で、グリフォン様のはここ

どんどん酷くなってるんだけど、大丈夫なのかなグリフォン様。

その例証内容自体の話と解釈するなら、それに関しては「その6」で論評したとおり。「7」でもさらに書いてあるか。

で、彼がここで読者にPRしようとしたのは、当方が「6、(のちに7も)」で反論を述べた自分の論が、<実は有効だったのである、それは論じる順番をかえたというグリフォンの行動が状況証拠になるのだ>というものでしょ(その説得力はさておく)。

何でこうなっちゃうのか、さっぱり分からない。「例証内容自体の話」ではない。ましてや引用部分の後パラグラフ、完全な誤読だ。何故そう読み間違えしてしまうのすら、おれには理解出来ない。順番の話はもうオマケみたいなもんで、ハナからどうでもいい。

当然、これも手続きについて言っている。

グリフォンが突っ込んだ対象のおれの元の文章はこう。

やたら「論」だ「議論」だって言っておいて、その程度のもんなのか。つまり「感情的な罵詈雑言」はなしだけど、揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しはありだと。自分の得意だと思い込んでいるテリトリー(?)に引き込みたいだけでしたと。つまり、論理や知性や常識や教養や、そういうものに対する誠意など、自分は持っていませんと。


ああ、おれの中の「議論のグリフォン様」像が、土台から、がらがらがっしゃーん!


そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ。

最初のパラグラフは2回「つまり」を使って、2回論理を飛躍させている。が、ここで書いたふたつの「つまり」以降の文は、自分の結論でもあり、まさに主張したいことでもある。だからこそ、枕にこう置いて、この日の文章の開始としている。当然、その後に細部の例証に入るわけだ。そうして、もう一度ラストでこの話に戻るという構成になっている。

これが挑発的だとか何だとか、そういう批判ならまだ分かるんだが、別にとりたてて珍しくもない(と思うが、そうじゃないんだろうか)、文章構造に対して、グリフォン様はこう反応してしまう。

今回の話題全体をつらぬく先方の欠陥がまさに出ているけど、彼はこういうふうに「罵詈雑言をダメというのがメイン」といわれたら、じゃあ揚げ足取りは「あり」なんだ、と考えるような、議論の有効性の範囲に関する勘違い(?)をしばしば行ってしまう。これ、本気か冗談か判然としないが、本気で言ってるならかなり危うい。

勿論、結論であるから本気であり、論理的飛躍があるんだから冗談であり、そうして何より話の枕なわけだ。この部分のみを捉えて、「議論の有効性の範囲に関する勘違い(?)をしばしば行ってしまう」などと反応してしまうグリフォン様の読解力、いやもう相当面倒くさくなっているのは理解出来るが、さすがに不味いんじゃないのかね。揚げ足取りにすらなっていない。


議論の手続きに関して言えば、「一部引用削除して歪曲」の件で前回自分はこう書いた。

誤魔化そうとしているだけなのか、本当に分かってないのか、この件に関しては、別に結果としてなされたグリフォン様の主張の可否については、こちらは何も言ってないんだわ。おれの発言の趣旨を一部削除することで歪曲して、それに反論(した内容ではなく)してしまうのは、議論の手続きとしてどうなのよと、言っている。

今回のグリフォン様、もうこの件はスルーして、本論ではない細部への反論だけだもの。いくらなんでも苦しい。せめて誤読したと申し開けば、まだ救いがあるものの、スルーするようではやはり意図的に歪曲したことを、暗に認めていると理解するしかないんだが、それでいいのかね?

どうでもいい細部にも、もう少し付き合ってあげる(親切メモ8)。

・ほかの人たちが私個人に「アプリ使用を薦める」話とは、DMチェックという別手段で済んだ。それは自分個人の利便性や選択の話で、別に語るまでも無くその時点でそのテーマは消滅。で、残るのは【それとは別に行っている】公式デザインへの要望をする意味で、最終的にはそれを論じれば収斂される。(その話は薦めた人にもしてるし逆にこの「こまめに見る」提案もあった)そこでアプリ導入の話は終わり。

勝手に消滅させたり収斂したりすな(苦笑)。てか関係ねえんだよ、そんなことは。いいかね。上記で書いていることは、すべて自分が指摘したことを肯定しているようにしか読めない。この部分。

これを笑う為に、グリフォン様の不便を解決すべく、グリフォン様にアドバイスしたご友人の方々は、おれみたいに単にグリフォン様をおちょくりたいのではなく、本当にグリフォン様の不便を慮って、アプリを勧めていることを書いた。しかものその勧めは、ツイッターって、こういうモノであるからして説得力あるよねと。にも拘らず、その説得力ある勧めに対しても、グリフォン様は自分が要望することの正当性を延々主張していたよねと。ああ、グリフォン様って、やっぱり、おかしいね。

グリフォン様の不便が、その後になってどう解決したかについてなど、まったく問題にしていない。その時点で、せっかく親切にアドバイスしてくれる友人たちに、自分がオフィシャルに要望することの正当性を「その話は薦めた人にもして」しまうグリフォン様の痛さを笑っている。何回同じこと書けば分かるんだろうな。

 * * *

で、今回の笑いどころ。

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

これと、

この話題ついでに素人的な、ソフトの不便話を書いてみよ。アウトルック・エクスプレスのメールってずっと「返信」「全員に返信」「転送」だけど、Aさんにメール後「あれ、あの件を書き忘れた」と、もう一本を送るというパターンって多いと思う。なんで「追伸」ボタンってないのかな。ずっと素朴に疑問

これ、同じソフトウェアに対する要望なのに、随分違うよねという、おれの突っ込みに、

どっちも主観的な話であることにそもそも大きな差は無い。

だそうです(爆笑)。そりゃそうだ。

このふたつのツイートを、一生懸命、両方とも「主観」なんです同じなんですと言って、それで何になるのか、まったく分かりません。

 * * *

さて。

そもそもの発端、クロムとIEの話に関しては、最初に丁寧に丁寧に説明した。

それに関して、グリフォン様がここの最後で提案した新案を、おれはここで、Windowsのボタンという概念はどういうものなのかという話を説明した上で否定した。

今回の話には直接は関係ないと断って、オマケとして、マウスでボタンをクリックする際の誤操作を避けるべくティップスまで書いた。

このいずれも、実際にいじってみれば、おれの指摘・説明が事実として正しいものであることなど、中学生でも理解出来る(グリフォン様が、本当に理解出来ない極端に偏った知力・理解力しか持っていないという可能性も否定はしない)。ところがこの複数の話、しかもわざわざ、おれがオマケと断った話まで含めて(とわざわざ書いて)、グリフォン様は、こう誤魔化そうとした。

一番下の、全体を支える土台は崩した、あとは全部が、がらがらがっしゃーん・・・・

土台なんて何も崩れてないことを論証すると、今度はこう。

「ああ、<メモ8氏にとっては>、ああいうデザインが使いやすいのか、こういう機能は<メモ8氏には>余計だと感じられるのか」という話を、ふつうに楽しく読みました。

この時点で「がらがらがっしゃーん」はどうなったんだという話なんだが、まあそれはいい。挙句、今度はこうだ。

>曲りなりともシステム屋である自分が、丁寧に説明
>んなこたあ、書いてないだろ


いやそれが貴方、「んなこと」だったんですよ、読んでみるとこれが(笑)。
それは氏の能力が高い低いとかシステム屋といってもピンキリだとか(笑)、実務をやってても説明や考察の力までは担保しないよな、とかそういう部分が影響してるかもしてないかもしれないんだけど、、そもそもは本質的にそういうものなのだという面があるんだけどね。

逃げまくり。

何を言うのも勝手だ。どんな我がままな要望だって好きに言えばいいと思う。主観を主張してはいけないなどとは最初から一言も言っていないし言う気もない。グローバル・デザインだ何だと、主張することの正当性を肯定するご高説もあるんだろう。そんなこと否定していない(どころか一切相手にすらしていない)。

しかしだ、主張することの正当性をどれほど強く肯定するご高説も、その要望自体のレベルの低さを肯定するものではない。その要望がこういう理由でダメなんだという丁寧な指摘に対して、こんな開き直りしか出来ないようでは、最初から論がないのはグリフォン様としか言いようがない。

がらがらがっしゃーんなどという論理にもなってないインチキ。複数指摘している手続きの誤魔化し。些細なミスさえ認められない狭量さで自分の首を絞めてしまい、誤魔化しすら出来なくなって挙句はスルー。おまけに、余談で出てくる例え話など、誰でも3通りくらい反論の方法が思いつくレベルの低さ。

論がないのはグリフォン様。これ、もう結論でいいと思うんだ(客観)。

四回目のTOEIC

日曜日に今年初、合計4回目のTOEIC受験。今回は場所が初めて大学の校舎(明治の和泉)で、懐かしい感覚を覚えたものの、今時のカンファレンスルームと違って、席の前後の間隔狭いし、居心地わりーなどと思いながら、受けてきた。

今回は「出来た」という感覚はあるんだが、TOEICの場合、結果出るまでよく分からないというのは、別に自分だけのことじゃなく、そういうものらしいし、ましてや過去の3回の受験後の感覚をどこまで正確に覚えているのか、出た結果やら何やらで記憶に補正が入っていて、比較が正確でない気もするので、益々分からない。

日常的な学習は、相変らず、リスニングのトレーニングをTOEICことなど考えずにやっているだけなんだが、そちらは進歩を実感していたので、前々日まで「今回は相当いける筈」という自信があった。ところが、前日に公式問題集(一応vol.3から5までは購入済み)のリスニング部分を初めてやってみたら、よくなってる筈という予想ほどには出来ず、げげっ、これはあまり変わらないかもなどと不安に思いだし、だからこそ「思ったよりは出来た」感が強いだけの可能性も高い。

ただ、前回あたりから感じ始めた、聴けている感が、より確実になってきたし、面白いなあと思うのは、まったく勉強していないリーディングすら、多少よくなっている感覚があること。昔は少しは出来た記憶もある英語の黙読が、また出来るようになり始めている。いやほら、英語の場合、声を出していないから黙読というわけではなく、心で音読している場合が多く。少なくとも1年半前に勉強を開始してからは、ずっとそうだった。それがようやく速読に近い黙読が出来るようになり始めている。これが出来ると、読む速度は段違いに上がる。現時点では、まだまだ、精度が低過ぎるんだが。

などと書いた挙句、点数下がってて、きゃあ恥ずかしいというのも展開もあり得るが、それはそれで、また笑って頂くとして、結果出るのは三週間後だ。

麗しのグリフォン

これ続くな。一生続くな。いやあの世でも続くな。

というわけで、前回のおれのはここグリフォンの反論はここ

さて、今回は謝罪から。

・・・・・・ご覧ください↓
http://www20.tok2.com/home/gryphon/data/kakikakenhb.MP4
確認しにくかったら、「NHBニュース 投稿用フォーム」のところで文章を書きかけにして、実験してみてください。

げっ「NHB News」でしたか! これは大変失礼しました。でっち上げとまで詰って、申し訳ありませんでした。謹んでお詫びいたします。

編集機能もそれなりに揃って、下書き保存機能もある、はてなダイアリーの編集画面ならまだしも、あの「NHB News」の投稿用CGIのボックスで長文を編集なさるんですね! 凄い労力だわー。そりゃホント、クロムのタブ削除ボタンのせいで、書きかけの長文消してしまって、本当に大変でしたね!


と、謝るとこ謝って、さっ次、次。前回、おれはこう書いた。

だって上記の文章のすぐ後に、おれ「そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ」って例証に入ってるんだぜ。で、グリフォン様、さすがにそのすぐ後で、その例証に反論するのはバツが悪いと思ったのか、わざわざ違う話題に振っている。

そうしたら、どういう反論があったか。

まず順番入れ替えの話をしておきますよ。
>さすがにそのすぐ後で、その例証に反論するのはバツが悪いと思ったのか、わざわざ違う話題に振っている。


あのさー・・・

と書いてあるので、別に順番の話はどうでもいいんだがなーと思いながら、読み進めていくと、いつまでたっても、上記で引いた、

だって上記の文章のすぐ後に、おれ「そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ」って例証に入ってるんだぜ。

に関することは出てこない。……あれっ? この件、まずはグリフォン様がこう書いたわけだ。

今回の話題全体をつらぬく先方の欠陥がまさに出ているけど、彼はこういうふうに「罵詈雑言をダメというのがメイン」といわれたら、じゃあ揚げ足取りは「あり」なんだ、と考えるような、議論の有効性の範囲に関する勘違い(?)をしばしば行ってしまう。これ、本気か冗談か判然としないが、本気で言ってるならかなり危うい。

で、おれがこう書いた。

これ、壮絶なブーメランというか、どこまで本気で書いているのか、誰も読んでないと思って舐めてるのか、自分から挑発した癖して面倒くさくなってるのか、それこそ判然としないけど、大丈夫なのかしらね。


だって上記の文章のすぐ後に、おれ「そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ」って例証に入ってるんだぜ。で、グリフォン様、さすがにそのすぐ後で、その例証に反論するのはバツが悪いと思ったのか、わざわざ違う話題に振っている。

この流れで、これを「順番の入れ替えの話」と要約して、そこについてだけ反論するってのは、さすがに唖然とするしかないんだが。おれは何を指摘したのか。上記のように簡潔に書いているにも関わらず、これ以上、説明しないといけませんかね?

 * * *

まさか本気で「別の1ツイートでは謙虚な書き方(?)をしている」を根拠にするとは思わなかったわ。
いや!!ほんとに!だいじょーぶっすか?

いや、ホントに、だいじょーぶっすか? そのままお返し。

引っ掛かったの認めたくないのは分かるけどさー。もういい加減、主観・客観止めようよ。別に主観だって客観だって、どっちでもいいからさあ。と書いたら、それ言い出したのは、お前だろと怒っちゃうかな?

だからさ、ネタばらしはしたでしょ?

けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。

この2行に、そんなに鬼の首取ったみたいに拘られてもなあ。その前後でおれが何を書いているのか、もう一度読んでみてよ。その2行だけ浮いてるのは、分かってたみたいじゃん。

しかしだ。反論するならこっちでしょと指摘した箇所には『ひとこと「妄想乙」 でおわりだな(笑)』だそうで、だったら、やっぱりこの話題続けるしかないのかなあ。……はあと溜息つきながら、斜め読みしていた、グリフォン様が引いた「笑い話」を、もう一度読んでみた。

昔の冒険家2人が「全身が白い熊は『いる』『いない』で賭けをしてそれぞれ冒険に出た。数年後、『いる』の冒険家がシロクマを北極で見つけ意気揚々と戻ってくると『いない』の冒険家は『ふん、お前の見た白い熊のいるところは北極1箇所だけ? 俺は南米、北米、豪州、アフリカと4箇所も、白い熊がいないところを見たぞ!!』」

あのー、この「欠陥・主観・客観関連」(と強引に要約)のやり取りで、北極で白クマ発見したのは、おれだと思うんだが。

だってね、過去の「欠陥」を使った、映画やらマンガやらへの文章を提示して、グリフォン様が何を言いたかったのかといえば、グリフォン様は「欠陥」を主観的表現において使うぞこらってことだよね。ところが、おれが元々何を主張しているのかといえば、「最初は自分の大発見だと思って呟いて、おかしいと指摘されても深く考えず意地張って突っ張ってみたものの…」だよね。それはグリフォン様が「妄想乙」で片付けようとだ。

で、その例示として、ほら、同じソフトに対する要望を、直後のタイミングで、しかもまったく違う勢いで書いてるじゃんと言ってるわけだ。

このやり取りにおいて、おれにとっての白クマは、グリフォン様がクロムとツイッターへの要望が妙に強気(この表現は何でもいいぜ、ここで主観とか客観とか持ち出すから面倒くさくなるので)であることだわな。そしてアウトルックに対しては、同日で同じソフトウェアに対する要望なのにも関わらず、妙に弱気(この表現も同様、強気の反意語であれば何でもいい)。だから、やっぱ白クマはここにいるよねと言っているわけだ。

だから、グリフォン様は、過去の自分の映画やらマンガについての文章で「欠陥」を主観的表現において使っているというのが白クマだと言っても、それは明らかに、おれにとっての白クマではないし、この「欠陥・主観・客観関連」のやり取りにおける白クマでもなく、例に即して書くなら、パンダを4箇所で発見しましたと言ってるだけなんだわ。

 * * *

彼の文章は「おちょくる」「説教した」「ひっかける」など、自分の行動、言動をエラクみせたがる表現を多用することがひとつの特徴。それが第三者からみてどうだったか
は別にして(笑)。まあ自分で自分のことを表現するのだから「降臨した」でも「・・・と施してやった」でも別に好きに使えばいいのだが、実は今までも「あ、またこーゆー表現出てきたなあ」とひそかに楽しんでたのだ(笑)。この楽しみを皆さんにも分け与えたいと思って書いておく。念頭において過去の文章を読み直すとまた面白いよ(笑)。

まあ、確かに余談だな。今回はこの手の余談には一切付き合ってないんだが、この件に関しては、反論したいということではなく、素直にええーっと驚いてしまったので、こちらもあくまで余談として書いておく。「おちょくる」「説教した」「ひっかける」が「自分の行動、言動をエラクみせたがる表現」であるということに。

「説教」は分かる。確かにそうだろうなと思う。そして確かに、おれがよく使う語彙。けれど、今回のやり取りでは一切使ってない。だって、今回は一貫して自嘲・卑下を前提とした書き方をしているつもりだから。つまり「おちょくる」「ひっかける」(後者は普段はあまり使ってない筈だが)は、自嘲・卑下表現のつもりで使っている。だって、そうでしょ? おちょくったり、ひっかけたり、そんなの悪い子のやることでしょ? おれは悪い子だって言ってるんだぜ。卑下以外の何者でもないと思うんだが。ましてやそれでエラくみえたりする人いるなんて、思いもしなかったわ。

そもそも、アルファブロガーグリフォン様に、落ち目のパンピー・メモ8が挑むって構図のつもりなんだぜ?

つくづく、対話とか議論って難しいと思う。こんなことからして、ズレがあるものね。

 * * *

続く「一部引用削除して歪曲」の件は、グリフォン様、泥沼っていうか、さすがに無理あり過ぎ。

誤魔化そうとしているだけなのか、本当に分かってないのか、この件に関しては、別に結果としてなされたグリフォン様の主張の可否については、こちらは何も言ってないんだわ。おれの発言の趣旨を一部削除することで歪曲して、それに反論(した内容ではなく)してしまうのは、議論の手続きとしてどうなのよと、言っている。

だから、グリフォン様がこれに反論するなら……いやこれはちょっと難しいな。捻じ曲げちゃったのは事実だしな。そうか、だから誤魔化すしかないのか。

・アプリ導入の正当性(だか説得力)だかだが、そもそもそちらが<正当性>の話として出してきた、「他の知人もアプリを薦めた」という話・・・つまり当方の個人的、実務的な話に関しては、前に書いたように残念ながら「DM欄をチェックするようになった」という、別の次元でとりあえず処置してしまった。

いきなり、こういう要約まで誤魔化しがあるから、どうしていいのか困ってしまう。

まず、グリフォン様が「DM欄をチェック」するようになったと言及したのは、つい数日前のことだよね。当然、おれが指摘している「アプリ使用を勧めること」は、3月末にやり取りされたことについて書いている。時系列をごっちゃにして誤魔化して、何かをまとめたつもりになられても。

正当性でも説得力でもいいんだけど、何故、おれがツイッターの特殊性に言及し、それをアプリを勧めることの正当性の示したとしたのかという話にまで戻ろうか。

おれは、とにかく、グリフォン様の痛さを笑いたいわけだ。

だから、最初に、グリフォン様の要望が如何にボンクラでモノの分かってない要望であるかを丁寧に説明した。

続いて、グリフォン様の不便を解決すべくアプリ使用を勧めたご友人たちに対しても、延々自分のオフィシャルへの要望の正当性を主張してしまうグリフォン様の痛さを笑ってるわけだ。

これを笑う為に、グリフォン様の不便を解決すべく、グリフォン様にアドバイスしたご友人の方々は、おれみたいに単にグリフォン様をおちょくりたいのではなく、本当にグリフォン様の不便を慮って、アプリを勧めていることを書いた。しかものその勧めは、ツイッターって、こういうモノであるからして説得力あるよねと。にも拘らず、その説得力ある勧めに対しても、グリフォン様は自分が要望することの正当性を延々主張していたよねと。ああ、グリフォン様って、やっぱり、おかしいね。

あのさ。

こちらは最初から、何を書こうと、グリフォン様が自分の誤りだとか、言い過ぎだとかを、訂正とか修正するなんて、思ってないの。それは過去の経験からして。

だったら、どうすればいいと思う? というか、おれが何をしたいと思う?

最初から、おれの狙いはひとつで、その狙いは随分と成功していると思っているよ。

曲りなりともシステム屋である自分が、丁寧に説明した、あーんな話やこーんな話を、

「ああ、<メモ8氏にとっては>、ああいうデザインが使いやすいのか、こういう機能は<メモ8氏には>余計だと感じられるのか」という話を、ふつうに楽しく読みました。

などと書いてしまう限り。んなこたあ、書いてないだろ。ひょっとして、そこだけ日本語読めませんかね?


追記:2013.04.12 22:35 誤字修正(コメント欄参照)

黄昏のグリフォン

さっ続き続き。一生続くなこれ。

おれの前回はここ。それに対するグリフォン様のはここ

>「論」だ「議論」だって言っておいて、その程度のもんなのか。つまり「感情的な罵詈雑言」はなしだけど、揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しはありだと


今回の話題全体をつらぬく先方の欠陥がまさに出ているけど、彼はこういうふうに「罵詈雑言をダメというのがメイン」といわれたら、じゃあ揚げ足取りは「あり」なんだ、と考えるような、議論の有効性の範囲に関する勘違い(?)をしばしば行ってしまう。これ、本気か冗談か判然としないが、本気で言ってるならかなり危うい。

これ、壮絶なブーメランというか、どこまで本気で書いているのか、誰も読んでないと思って舐めてるのか、自分から挑発した癖して面倒くさくなってるのか、それこそ判然としないけど、大丈夫なのかしらね。

だって上記の文章のすぐ後に、おれ「そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ」って例証に入ってるんだぜ。で、グリフォン様、さすがにそのすぐ後で、その例証に反論するのはバツが悪いと思ったのか、わざわざ違う話題に振っている。

何かこういうのを、論理的インチキとか誤魔化しとか言うんだと思うだが、グリフォン様にとっては違うんだろうか。

 * * *

今回はまず最初に、ちょっと新しく気付いたことを。そもそもの始まりはこのグリフォン様のこのツイートだった(まあその前から延々続いているといえば、そうなんだが)。

グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

今回のやり取り、おれはクロムやIEのタブ削除ボタンのことだけ気にしていたんだが、実は、このツイート、酷いでっち上げ込みであることに、今頃になって気付いた。

でっち上げなのは「書きかけ文章も一緒に(笑)」の部分。

元祖クラウドグリフォン様と違って、おれは、はてなのサイトに書きかけやメモを保存することは、習慣としてないんだが、今回はささやかないたずら心もあって、このブログの更新を、一番アクセスが増えるような時間にすることにしたのね(普段は時間なんて気にしない)。なので、文章をエディタで書き終き終わったら、普段なら更新直前にやる、はてダの編集画面に入れてみて、実際の表示を確認しながら推敲をしたりする。

終わったら、やっぱり下書き保存(というのが、他の大概のブログと同じように、はてなも出来る)はせずに、内容をエディタに戻して、編集ページを閉じる(わざわざ何でそんな面倒なことをするのかまではここでは触れないが、勿論理由はある)。

従って、編集した画面を、保存しないまま閉じることになる。そうすると、はてなが、警告ダイアログを出してくれるんだわ。クロムでもIEでも「書きかけ文章も一緒に」消える前に、必ず、確認画面が出る。保存してませんがOKですかね的な奴。もうこれ以上、丁寧な警告はないというほどの。

為念で追加しておけば、自分で編集しているわけじゃない、どこかヨソのサイトを表示してて仮に間違って閉じただけなら、履歴からすぐ探せるのはクロムもIEも一緒。

そっかー、グリフォン様、最初から、自分が閉じてしまったのは別に編集中の文章でもないのに、あたかも文章消してしまったかのように書いて、クロムをディスっていたのかー。ディスる為には、でっち上げまでしちゃう人なんだー。揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しありに加えて、でっち上げまでありと。

あーあ。

 * * *

さて。

けど、どうなのよ。個人の好みの問題を「欠陥」「優れている」などと表現する人間って。少なくとも、おれの知ってるグリフォンはそんな書き方しない。

と、おれはここで書いた。で、ここを始点としたグリフォン様のあーだこーだが、今回も延々続いている。

盗人たけだけしいたあ、このことだ。
逐一は大変だから流れを追ってくぞ。

だそうで。だけどさ、流れを追うなら、始点をちゃんとしようよ。おれは上記の「けど、どうなのよ」のパラグラフに続いて、こう書いてるんだぜ。

つまり、最初は自分の大発見だと思って呟いて、おかしいと指摘されても深く考えず意地張って突っ張ってみたものの、ここにきてさすがにマズいと、完全に誤魔化しにかかっているわけだ。最初に自分の書いたことを、訂正するのが、どうしてもイヤなんだな。挙句、意地張ってどんどんドツボにハマる。こういうやり取りは過去に延々してきた。

「けど、どうなのよ〜」ついて、まあこれは引っ掛けてしまって、ちょっとズルいかなと思うけど(謙虚)、見事に引っ掛かってしまったのはグリフォン様であって。

繰り返しておく。まず最初のグリフォン様のツイートがこれ。

gryphonjapan
グーグルクロームのデザイン上の欠陥。複数開いてる時は目当てのタブをクリックするのだが、閉じる為のX印がむきだしでしかも台形状なので見るつもりのクリックが「消す」ボタンを押した扱いになり消える。書きかけ文章も一緒に(笑)IEはカーソルがタブ上に来てX印が出る仕組み。こっちが優れてる

んで、おれが突っ込んだら、その直後に呟いたのがこれ。

gryphonjapan
この話題ついでに素人的な、ソフトの不便話を書いてみよ。アウトルック・エクスプレスのメールってずっと「返信」「全員に返信」「転送」だけど、Aさんにメール後「あれ、あの件を書き忘れた」と、もう一本を送るというパターンって多いと思う。なんで「追伸」ボタンってないのかな。ずっと素朴に疑問

ぜーんぜん違うじゃん(爆笑)。だから、真実のグリフォン様はそんな酷い書き方する人じゃない、ちょっと気持ち大きくなって偉そうに書いちゃっただけなんだとおちょくったわけだね。ところが、この件に関しては触れもしないんだぜ。やっぱ誤魔化しありじゃん。

・そちらがパロディでやった(主観)(客観)と( )で文章につけるというギャグは、すなわち「普通の文章では『これは自分の主観的な判断です。異論は認める』『これは誰から見ても確かな絶対の真実。異論は認めない』というのは厳密に区別されてない」ってことを認めてるからこそだよね?


・「〜と感じた」とか「基本はそれでいいけど」だと、主観的な好みだと分かるので問題ない、というなら「〜ればいいのに」も主観的な願望を示しているから問題なくなるのでは?


などなどの、こっちの指摘はどうなったのですかい。 あなたのいう「オマケ」って「それは予想してなくて準備が出来てない」って話か?

とか言ってる。こっちが主張すらしてない論点を、勝手にでっち上げて、ごり押ししてるだけ。いいですかー。グリフォン様が反論すべきはここなの。もう一回引用しておくよ。

つまり、最初は自分の大発見だと思って呟いて、おかしいと指摘されても深く考えず意地張って突っ張ってみたものの、ここにきてさすがにマズいと、完全に誤魔化しにかかっているわけだ。最初に自分の書いたことを、訂正するのが、どうしてもイヤなんだな。挙句、意地張ってどんどんドツボにハマる。こういうやり取りは過去に延々してきた。

 * * *

で、この後に、ようやく話は最初におれが「揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しはあり」の例証で出した話題を出してくる。誤魔化しはさらに酷くなっている。

で、彼は「つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つわけだ。」を”正当性”という言葉に言い換えている(それも実は本来イコールで結べない話だが)のだが、実はこれ「正当」「不当」というのは、それがそもそも<別の話>であるのに対しては射程がはなから及ばない。だから特にその後論じる部分でもないところを、引用で削っても問題ない(※削る主目的はは物理的に短くするためだが)。

おれが問題としてもいないことを、あたかも問題としたかのように書いて、それに反論して気持ちよくなるってパターンをここでもやってる。これを誤魔化そうとしてやっているのか、本当に反論出来たつもりで気持ちよくなっているのか、これまたよく分からないところが、かなり不気味というレベルに達しつつある。

いいかな? どこを引用するかなんて、まさに恣意的な問題だ。そんなことは、こちらはハナから問題にしてない。もう一度該当箇所を書いておくよ。

はてブの話とは大きく事情が異なる違うケースであること、はてブに強引にアナロジーしても全然意味を成さないことが、これで理解出来るだろうか。つまり、アプリ使えよという指摘は、多いに説得力を持つわけだ。

これに反論したいなら「アプリ使えよという指摘」が説得力を持たないことを書かなくてはならないよね。

にも関わらず、そのキモの部分をあえて引用しないことで、おれの文意を捻じ曲げて、それを反論の対象とするのは、ズルくないですか? そういうのって真っ当な議論って言えるんですか? と書いている。


さらに、これはもーどーしたらいいのー的に酷いのがここ。

「ああ、<メモ8氏にとっては>、ああいうデザインが使いやすいのか、こういう機能は<メモ8氏には>余計だと感じられるのか」という話を、ふつうに楽しく読みました。

おれがおちょくる以上、ちゃんと背景があることに気付いてからは、これで逃げ切るつもりなんだろうが、これ続けると、今回の件ではなく、やや大袈裟な表現をすると、これからの人生において致命的だと思うよ。てか、おれは、これからおちょくりのネタに使うよ。

今ならまだ間に合うと思うんだがなー。

このままだと、こんないい加減なこと書き続けるグリフォン様、やっぱり「揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しはあり」で、おまけにでっち上げまでありの、知識とか理論とか教養とか事実に対して不誠実な人であると、結論付けざるを得ませんな。

逆ギレてやがて哀しき議論のグリフォン

うーむ、人って哀しいね。特にグリフォン様方面とか。というわけで、ここここの続き。グリフォン様の反論(にはまったくなってないけどね)はここ

>おれに「論」だ「議論」というんだが、それは議論という言葉より、ディベートという言葉からイメージされるような、つまり、とにかく言い負かしゲーム的な揚げ足の取り合いを指している気がする


感情的な罵詈雑言のみの文を控えるように、というのが一番メインの意味です。今回はだいぶ抑え気味でいいと思うよ。

なああああんだ。

やたら「論」だ「議論」だって言っておいて、その程度のもんなのか。つまり「感情的な罵詈雑言」はなしだけど、揚げ足取りあり・論理的インチキあり・誤魔化しはありだと。自分の得意だと思い込んでいるテリトリー(?)に引き込みたいだけでしたと。つまり、論理や知性や常識や教養や、そういうものに対する誠意など、自分は持っていませんと。

ああ、おれの中の「議論のグリフォン様」像が、土台から、がらがらがっしゃーん!

そして、今回も実際に誤魔化そうとしている。例えばここ。

おれの文章を恣意的に引用しない箇所を作ることで、文意を歪曲していると指摘した。それに対する回答はどうなっているか。

で、はじめに「文章を削られた」との文句が出てるが、略したのは普通に、引用をすっきりさせるため。(下段パラグラフは短いのに略したというが、そもそも両パラグラフはひとつながりであることにも注意))


というか下で書く話になるけど、アプリを使う(自分の実務的解決)の話と、公式への要望の違いが分かると、引用部分の選択の意味がそのまま分かる。

では始めよう。

とあるんだが、最後まで読んでも、「引用部分の選択の意味」なんて、さっぱり分かんねーぞ。

まず間違いないのは「それは歪曲(あるいは誤読)だよ」と指摘したことに何も答えていない。「歪曲した結果、延々グリフォンは自分が要望することの正当性を主張しているが、おれはグリフォンの主張の不当性について書いたんじゃない、グリフォンに対してアプリを勧めることの正当性を書いた」と指摘したんだが、そこにはまったく触れず、今回も上記に続いて、また延々、自分の要望の正当性を主張している。

だから結局「引用部分の選択の意味」は分からない。どこにも書いてない。それとも、何か、おれの読解力が足りなくて、分からないんですかね? 書いているなら、ここで書いてます、やーいこんなことも分からないのかバーカと教えて欲しいんだが。

対話になってない。ましてや、これじゃ議論になどなりようがない。ハナから誤魔化そうとしているだけだもんな(としかみえないだろ、これじゃ)。

で、今回はそれに続いて、実現可能性の話。全然関係ない例を引いて、要は実現可能性など低くても主張したっていいのだと言いたいらしい。

だーかーらー別に主張したいならすればいいだろ。最初から悪いなんて言ってねえよ。けれど、その主張自体のレベルが低過ぎて、グリフォンを思いやる友達の思いにまで逆ギレしてて、痛いですねー恥ずかしいですねーと笑ってるの。それはもう最初から一貫して。


クロムの件もツイッターの件も、その要望自体のレベルが低いものであることは、既に丁寧に論拠をあげて説明した。そういう個々の部分に関しては、一切反論はない。返ってくるのは、だからって言っちゃいけないのかよ! とか、おれが必要だと思うから必要なんだよ! レベルのガキの喧嘩みたいな言葉で。

前回でも、オフィシャルのウェブでは未読管理が出来ないことを提示した(だからこそプッシュ/通知に意味があるんだよ)。が、ここには反応はなし。当然だ、だってそんなことに、いちいち答えていたら、益々苦しくなっちゃうもんな。もうね、はっきりしているのはウェブでどう見せようが、グリフォンは見落とす。で、それを逆ギレする。そういう人なんだよ。典型的なクレーマー体質。

大体さ、今回の反論(にはまったくなってないと繰り返しておくけど)でも最初に書いてるのは、「欠陥」「優れてる」を巡る、グリフォンが言い出した論点なんだが、ここからして誤魔化しの意図が強く見える。この論点に対して、おれが前回明確に指摘した、ほらーこんなこと書いてるじゃーんという点は無視。オマケの方にしか答えようとしない。最初の指摘だけで、とっくに、これまた、がらがらがっしゃーんだろ。

そりゃ誤魔化しすら出来ないのも分かる。この論点だけでなく、自分から挑発してみたものの、いざ始まってしまったら、すべてに分が悪いことには、とっくに気付いているんだよな。だけど、どうしても自分の意見を修正したり訂正したくない(自分の要望のレベルが低いものであることは、薄々認めていると読めないわけじゃない箇所も既にあるんだが)。意地でも認めない。認めたくない。まあね、そんなことは最初から分かっていた。

だって、グリフォン様って昔からそうだもの。ずっとずっとそうだもの。

自分から「論」だ「議論」だ言い出した癖して、ここまで酷くなって、ボロボロになって、この後に及んでという感じで、まだ話題をずらして自分の正当性を主張しようとする。その痛々しさは、既に同情することしきりという奴だ。哀れ。